今日10日の日経新聞「こころ」欄は、
『親の老いを見守る~自然な最期 最後の孝行』というタイトルの記事でした。
年をとり心身の機能が衰えた親をどう支えるかは、
中高年世代の共通の課題だけれども、
「親の人生の穏やかな終末期や臨終を子供たちが邪魔している」
記事にはこのように書かれていました。
では、老いた親にどう向き合えばいいのでしょうか?
20年にわたる在宅診療で約1000人を看取ったという
長尾和宏さんの次のようなお言葉は、
年老いた父と同居している私にとって、重く切実な響きがありました。
『老いていく親を見るのは確かにつらいことです。
体の機能が衰えて、以前できていたことができなくなり、
あちこちの痛みを訴えたりもします。
しかし、肉体的に健全であることが幸福だとは限りません。
むしろ「あれができる、これもやりたい」と止めどもなく願望が広がり、
息苦しい思いをするばかりです』
『本当に精神が自由になるのは、
身体が思うように動かなくなったり認知機能が下がったりして、
要らぬ我欲を手放してからではないでしょうか。
認知老人は子供から見れば不自由な人かもしれませんが、
本人は社会のしがらみから抜け出して
人生で初めて訪れたゆとりの時間を味わっているのかもしれません』
『心配するあまり、親の生活を必要以上に管理しがちですが、
それでは、互いにストレスをためるだけ。
親は老いた姿を通じて、命の仕舞い方を身をもって子供に教えてくれているのです。
親の老いをおおらかに見守り、
自然に任せる穏やかな最期を迎えられるようにすることこそ、
子供ができる最後の親孝行ではないでしょうか。』
う~む…、なるほど。そういうものですか…。
私も最近、父親にあれやこれやと注意や叱責をすることが多くなり、
一方では、そういう自分が情けなく、自己嫌悪に陥っていました。
そうではなくて、命の仕舞い方を日々、父から教えてもらっているという、
謙虚で素直な気持ちになる必要があるのですね…。(反省)
かくいう私自身も、定年退職後は、身体が思うように動かなくなったり、
認知機能が下がっていることを痛切に自覚するようになりました。
「要らぬ我欲を手放した自由人」になる日が、
着実に近づいているのかもしれません……。