多くの人は今日から三連休なのでしょうが、私はあいにくの出勤。
おまけに、明日は大腸内視鏡検査のため、前日の今日は、
朝・昼・夕の三食とも「おかゆ」のような検査食で、
この日記を書いている今現在、おなかが減って力が入りません…。(トホホ)
さて、今日23日の日経新聞「迫真」欄の
『砂上の安心網~声を聞く(4) 「ぽっくり」が理想』という記事を読んで、
深く考えるところがありました。
記事によると、
ぽっくり往生を願う高齢者に人気の日帰りツアーが関西にあるそうです。
大阪・梅田駅を出発し、バスで揺られること一時間の奈良県の吉田寺(きちでんじ)、
通称「ぽっくり寺」で住職さんの講話を聞き、往生祈願の後は「ぼけ封じ」のために、
そのツアーに同行した記者が、
子どもに迷惑をかけたくないと願う高齢者が、
「今」と「次世代」をどう考えているかを知りたくて、
ぽっくり往生を願う人々を60年超見てきたという
さきほどの吉田寺の住職さんを訪ねたところ、
少し寂しそうに次のようにつぶやかれたそうです。
『今の人にとって、先々のことは死ぬまでのこと。
この世がうまくいけばいい。刹那的ともいえますね』
う~む……、この言葉を読んで、しばらく思考が止まってしまいました。
「子どもに迷惑をかけないうちにぽっくりと死ぬ」というのは、
おそらく昔も今も変わらない高齢者の願いだと思うけれど、
今の人は自分が死ぬまでのことだけを考えていて、
次の世代のことを考えていないとの住職さんのご指摘は、やはりショックでした。
娘や孫娘に残せるものは何もなく、
できることといえば、記事に書かれているように、
迷惑をかけないうちに死ぬことしかないような私が、
娘や孫娘を含めた次世代の人たちのために何を残すことができるのか?
そういえば、内村鑑三は、「勇ましい高尚なる生涯」を送ることが、
後世に残せる最大の遺物であると、その著書に書いていました。
また、NHK「100分 de 名著」のHPで、批評家の若松英輔さんが、
後世に生まれる未知の他者が歩く道を準備することだった。」
と述べられていたことを思い出します。
つくづく、昔の日本人は偉かったと思います。