大晦日の今日はよく晴れて、穏やかな一日となりました。
ただ、私にとっての大晦日は、お飾りをしたり、買い物に行ったり、
料理をしたりして、あっという間に過ぎ去ってしまいます。
さて、昨日30日の産経新聞「正論」に掲載された猪木武徳・大阪大学名誉教授の
『分断・排除へ激しく動いた1年~時代は文明から野蛮へ戻るのか』という論考は、
今年1年を締めくくるのに相応しい格調高い論考でした。
その論考のなかでも、私が強く印象に残った箇所は次のような記述でした。
少々長くなりますが引用させていただきます。
・今年の世界情勢を振り返ると、これまでゆっくり進行してきた
「統合と収斂(しゅうれん)」の動きが大きく後退し、
「分離と発散」への傾向が顕著になったことに気付く。
・6月末、英国が国民投票によって欧州連合(EU)からの離脱を決めたこと、
11月の米国大統領選で、「アメリカ・ファースト」を強調し、
当選したことにその動きは表れている。
グローバリゼーションとナショナリズムの相克が明確に表面化した年とも言えよう。
文明が「共存の意志」を意味するのであれば、
こうした分離の傾向は文明の進歩とは相反する。
・市民とは、本来であればバラバラの個人が共同の利益で結ばれながら、
しかし「反対者と共存する」智徳を備えている点を特徴とする。
反対者がいない社会、同質的な多数派が強い社会的権力にのし上がった社会は
市民社会ではない。反対派を認めつつ共存することが文明の本質なのだ。
「文明」の対立概念である「野蛮」はこの共存の意志を持たずに、
ただ戦闘にのみ集中している状態を指す。
・野蛮な時代は人間が分散していた時代であり、
分離し敵対し合う小集団がはびこる時代であった。
こうした視点から、分断や排除へと激しく動いたこの1年を振り返ると、
文明の時代から野蛮の時代へと振り子が戻ったのではないかという思いが強まる。
・デモクラシーの平等化の原理は人々をバラバラにして個人主義に陥らせ、
自分と家族の私的世界に閉じ込め、共同の利益への関心を薄める。
そこにデモクラシーの重要な欠陥がある。
この欠陥は国家間の平等原則にも認められる。
しかしそれゆえに昔に立ち戻れと言っても解決にならない。
むしろその欠陥を認めつつ、
その弊害をできる限り少なくする知恵を模索するよりほかに道はない。
う~む、なるほど……。文明とは「共存の意志」を意味するのですね…。
100年後に今年という年を振り返れば、
「歴史の転換点となった年」と後世の人に言われるのかもしれません。
私にとっても今年は、いろんな意味で「転換点となった年」でした。
ということで、
今年一年、この日記にお付き合いいただていて、ありがとうございました。
皆さん、良いお年をお迎えください。