今日3日もよく晴れて、穏やかな一日となりました。
さて、町立図書館で借りていた『終わった人』(内館牧子著:講談社)を読了しました。
昨年3月に定年退職した私にとって、
この本に書かれていた次のような言葉は、とても切実なものがありました。
一つひとつの言葉が身に染みました…。
・人間の価値は散り際で決まる。「散り際千金」だ。
・人は将来を知り得ないから、努力ができる。
・人にとって、何が不幸かと言って、やることがない日々だ。
・企業というところは、人をさんざん頑張らせ、さんざん持ち上げ、
年を取ると地に叩きつける。
そうした末に「終わった人」が、どうやって誇りを持てばいいのだ。
・社会や人心はそうすぐには変わらない。変わる前に、俺があの世に行くだろう。
ならば、自分が変わればいいのだ。
・思えば退職以来、情けないほど揺れ、気を取り直してまた嘆き、
再び心身を立て直してはまた落ち込む、ということを繰り返してきた。
仕事をしたいと焦るより、また、合わない仕事で合わない人に使われるより、
腹を決めて楽しんで生きよう。今度こそ、そう思った。
・人間、本当に先はわからないものだ。「一寸先は闇」とばかり言われるが、
「一寸先は光」ということはあるのだ。
・雇用延長の場合、どんな仕事をさせられるかわからない。
どんな業界であれ、友人たちの大半は、
それまでの地位やキャリアからは考えられないような、本人にしてみれば
「屈辱」とも言えるセクションに回されていた。
そこで若い人たちの冷淡な目を感じながら、働くのだ。幾ばくかの給料をもらって。
俺はそれを「仕事」とは言わない。
・孤独は誰とも分ちあえないものだ。
・人生において、生きていて「終わる」という状況は、
まさしく適齢でもたらされるのだと。
定年が六十歳から六十五歳であるのも、実に絶妙のタイミングなのだ。
定年という「生前葬」にはベストの年齢だ。
・男にとって、会社勤めと結婚は同じだ。
会社では結果を出さない人間は意味がないとされ、追いやられる。
家庭では年を取ると邪魔にされ、追いやられる。同じだ。
・俺は要領が悪い上に、いちいちのろい。
ところで、本書の「あとがき」で著者は、次のように述べられていました。
こちらも強く印象に残りました。
『着地点に至るまでの人生は、学歴や資質や数々の運などにも影響され、
格差や損得があるだろう。だが、社会的に「終わった人」になると、同じである。
横一列だ。本書の主人公のように、着地点に至るまでの人生が恵まれていれば、
かえって「横一列」を受け入れられない不幸もある。
ならば、なんのためにガリ勉し、あがき、上を目指したのか。
もしも「最後は横一列」とわかっていたなら、果たしてそう生きたか。』
また、国家を論じた「重要なのは品格ある衰退」という言葉を引用されて、
『これはアンチエイジング至上の現代日本において、
また、若い者には負けないとする「終わった人」において、大きな示唆である』
とも述べられていました。
果たしてこれからの私は、
著者の指摘する「品格ある衰退」という生き方をすることができるのかな…?
私は主人公のように元エリートサラリーマンではないけれど、
「要領が悪い上に、いちいちのろい」ことは見事に同じなだけに、
それは至難の業であるように思います。