日経新聞では、今月に入ってから、
大橋光夫・昭和電工最高顧問による「私の履歴書」の連載が始まっています。
今日3日で第3回目となりますが、早くもご覧のような心に響く文章がありました。
『今までの人生を振り返ると、明らかに違う2人の私がいる。
人の後ろに隠れ全く目立たなかった男が企業集団を率い、
国内外の経済関係でも微力ながらお役に立てるようになったとしたら、
後述するがその転機は結婚だった。
自分が若い時に劣等感のかたまりだったからこそ、
若い人や弱者の声に耳を傾ける習慣がついた。
「優れたリーダーとはその才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に自分たちがいなくては、
と思わせることに成功した人でもある」とある。
もしかすると私の頼りなさが社員の団結を強める一助になったのではないか。
~(略)~
大企業の経営者といえば優等生が多いとみられているが、
私のような者もいるのだ。最後は人間力がものを言うと私は信じている。
これから1カ月間、特に若い世代の方々に私の思いを伝えたい。』
『随感録(注:祖父・浜口雄幸の著書)にはこうも記してある。
「衣食住は政治の大きな仕事だが、人間はパンのみで生きるのではない。
人間の生活は精神面が併存していることを認識しないと真正の政治はできない」。
個人の人格、国家の文明、そして人類の文化は、
物質的と精神的な豊かさが両立して初めて完成すると説いたのだ。
母が教えたのは「逃げない」ということだ。
「一度自分が発した言葉に弁解じみた言い訳をするな。
自分の言葉には責任を負え。おじい様はいつもそう言っていましたよ」と諭された。
「人の心ほど弱いものはない。此(こ)の心一度(ひとたび)弛(ゆる)めば、
小にして其(そ)の身を亡(ほろ)ぼし、大にして国を 亡ぼす」とも記されている。
私はどんな事が起きても、必ず自分の中に責任があると思うようにしている。
業績が悪いのは社会のせい、他人のせいだと考え、自らの責任に目をつむれば、
次の進歩にはつながらないからだ。
家系を前面に出すのには抵抗がある。
昭和電工でも自分が元首相の孫だとはあえて口にしなかった。
だが、いまになって振り返ると、会ったことのない祖父、
浜口雄幸が貫いた正義感は精神的な支柱として
無意識のうちに私の体内に生きているように思える。』
う~む、なるほど……。
大橋さんの祖父は、あの「ライオン宰相」・浜口雄幸だったのですね…。
知りませんでした。
なお、先ほどの大橋さんの文章のなかに、
「最後は人間力がものをいう」という言葉がありましたが、
大橋さんの「責任感」や「正義感」というDNAは、
祖父・浜口雄幸をはじめ、先祖から受け継がれたものなのでしょうね…。
先祖からは「頑固さ」や「不器用さ」という、
どちらかというと負のDNAを受け継いだ私には、とてもうらやましく思います。
ところで、浜口雄幸といえば、
その昔、城山三郎さんの「男子の本懐」を読んだことを思い出します。
書かれていた内容はもうすっかり忘れましたが、
今も書棚の奥に眠っているはずなので、
この機会に、もう一度読み直してみたいと思っています。