定年退職をしてから、間もなく一年を迎えようとしています。
この間、困った事と言えば、自由に使えるお小遣いが少なくなったこと。
その影響をまともに受けるのが、私の場合は、本を購読することです。
最近では、なるべく町立図書館を利用するように心掛けていますが、
町立図書館の場合は、2週間という期限で本を返却しなければならず、
返却日が近づくと気になって、なかなか落ち着いて読むことができません。
そんな折、インターネットの電子図書館、
「青空文庫」という有難い存在があることに気がつきました。
さらに有難いことに、
いろいろな人が開発された青空文庫対応の無料アプリを利用すれば、
まるで本のページをめくるように、名作品の数々を読むことができます。
そういうことで、普段ほとんど活用する機会に恵まれなかった
私のタブレッド端末が、ようやくその真価を発揮しようとしています。
ちなみに、先日は、哲学者・西田幾多郎の「読書」という作品を閲覧しました。
そこには、次のような含蓄に富む文章が書かれていました。
『何人もいうことであり、いうまでもないことと思うが、
私は一時代を劃したような偉大な思想家、
大きな思想の流の淵源となったような人の書いたものを読むべきだと思う。
かかる思想家の思想が掴まるれば、その流派というようなものは、
恰(あたか)も蔓(つる)をたぐるように理解せられて行くのである。
無論困難な思想家には多少の手引というものを要するが、
単に概論的なものや末書的なものばかり多く読むのはよくないと思う。
人は往々何々の本はむつかしいという。
ただむつかしいのみで、無内容なものならば、読む必要もないが、
自分の思想が及ばないのでむつかしいのなら、
何処までもぶつかって行くべきでないか。
しかし偉大の思想の淵源となった人の書を読むといっても、
例えばプラトンさえ読めばそれでよいという如き考には同意することはできない。
ただ一つの思想を知るということは、思想というものを知らないというに同じい。
特にそういう思想がどういう歴史的地盤において生じ、
如何なる意義を有するかを知り置く必要があると思う。
況(ま)して今日の如く、在来の思想が行き詰ったかに考えられ、
我々が何か新に蹈み出さねばならぬと思う時代には
尚更(なおさら)と思うのである。』
う~む、なるほど……。背筋がピンと伸びる文章です。
私も、残りの人生で、あとどれくらいの本が読めるかどうか分かりませんが、
できる限り、血となり肉となるような読み方を心掛けたいと思います。
でも、やっぱり本は、できれば身銭を切って、
自分の手元に置いておくのが一番のような気がしています。