今日は18日は、二十四節気の「雨水」です。
「雪が雨になり、溶けた雪が土を潤すとき」でもあり、
また、「春一番が吹くころ」でもあります。
さて、一昨日16日の「溜池通信・不規則発言」で、「かんべえ」さんが、
「論説の作法」について次のようなことを書かれていました。
私も忘れずに、その内容をこの日記に残しておこうと思います。
『先日、とあるジャーナリストから聞いた話で、
「おお、これはその通り!」と同感したことがある。
忘れないようにここで書いておこう。
それは「論説を書くときは、形容詞に頼らない」ということ。
もちろん文章を書くときに、形容詞をまったく使わないわけにはいかない。
ここでいうのは、「ロジックの弱さを形容詞で補うな」
ということでありましょう。悪い例はいっぱい思いつきますな。
ほら、「毅然とした外交」とか、「凛とした政治」とか、
「しなやかな民主主義」とか、「対等な日米関係」とか。
こういう「いかにも印象の良さそうな形容詞」が使われるのは、
だいたいがロジックに自信がないときですな。
いかにもふわっとした言葉なので、
具体的にどういうものであるか定義ができないし、
そもそも「✖✖が毅然としているかどうか」は人によって受け止め方が違う。
コピーとしてはいいけれども、
それでロジックを生み出したつもりになってはならない。
~(略)~
ということで、旨そうな形容詞がついている言葉を見かけたら、
気をつけなければなりません。
そういうのが得意な知識人は少なくないのですけれども。』
う~む、なるほど……。
でも、この文章を読んで、ちょっとドキッとしました。
ひょっとしたら私も、この日記で、「ふわっと」した形容詞を乱用しているかも…?
まぁ~、私は、この日記で「論説」を書いているわけではありませんし、
旨そうな形容詞を思いつけるような知識人でもありません。
ただ、これからは、「かんべえ」さんが指摘されているような観点を頭に入れて、
いろいろな人が書いた、論考や論評、
そして、レポートなどを読むように心掛けたいと思います。