日経新聞電子版「定年楽園の扉」は、
経済コラムニストの大江英樹さんが執筆されていて、
私も読者の一人なのですが、今月23日に掲載されたコラムは、
『老後を豊かにする 年齢を受け入れる生き方』というタイトルでした。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の有り様を言うのだ」という
詩人サミュエル・ウルマンの「青春」という有名な詩について、
大江さんは、まず、次のように述べられていました。
『世の中にはこの詩が大好きだという人がたくさんいます。
特に比較的年齢の高い経営者や企業の役員にその傾向が強いようです。
そういう人には申し訳ないのですが、
私は若い頃からこの詩が好きではありませんでした。
年を取ったら好きになるかと思ったものの、
65歳という年齢になっても同じです。』
えっ、ドキリ……。
私は経営者でも役員でもないけれど、この詩が好きな一人なのですけど…。
なぜ好きではないのか、
大江さんは次のように述べられていて、ようやく私も納得しました。
『年を取れば能力は落ちます。体力はもちろん記憶力も、
場合によっては判断力だって低下することが多くなります。
見た目も若い頃とは違って衰えます。
にもかかわらず「青春だ」と声高に叫ぶのは、
「若者には負けたくない、自分だってまだまだやれるんだ」
と主張することで自分を納得させようとしているのでしょう。
こうした人はともすれば若者に嫌われる「老害」になりかねません。
私は年を取ることが悪いとは全く思いません。
年を取ったら取ったなりの味わいが出てくるからです。
大切なことは老いにあらがうのではなく、
それを受け入れて自分にふさわしい役割を果たすことではないかと思うのです。』
「時分の花」と「真の花」について、
世阿弥は「若い頃は何もしなくても美しいし、花がある。
年老いてくると花は衰えるが別の花が生まれる。それが真の花だ」
と言っていると紹介されたうえで、次のように述べられていました。
『つまり、年を重ねて経験を積んできたからこそ出せる魅力があるということです。
若い人と張り合う必要は全くないのです。
年を取っても「俺は青春だ」と威張るのではなく、
自分の能力の衰えを素直に認めた上で、自分にしかできないこと、
自分の年齢だからこそできることは何かということを考えるべきでしょう。
そうした観点から仕事でも世の中にでも貢献することを考えるのが
すてきな年の取り方ではないかと思うのです。』
はぃ、分かりました。
もとより、若い人に負けないように頑張る意欲と能力は、今の私にはありませんが、
これからもこうした心構えで生きていければ……と思います。
ただ、「すてきな年の取り方」は、言うのは簡単かもしれないけれど、
老木に花を咲かせるのは難しいというか、
本人にとっては、試練と忍耐を伴う、とっても難しい「生き方」だと思います。