しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

国語辞典という「宇宙」

『辞書になった男~ケンボー先生と山田先生』

(佐々木健一著:文春文庫)を読了しました。

 

本書は、「明解国語辞典」という国民的辞書をともに作ってきた

二人の辞書編纂者(見坊豪紀山田忠雄)が、なぜ訣別し、

二つの辞書(「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」)が生まれたのか、

その真相に迫った本で、とても読み応えがありました。

 

本書のなかで、私が強く印象に残ったのは、

二人が訣別に至った経緯というよりも、著者が「おわりに」の箇所で書いていた、

「ことば」についての次のような記述でした。

 

・様々な番組の取材をしていて、いつも感じることがある。

 それは、名も無き人々が語る「ことば」の、目に見えない大きな「力」だ。

・「ことば」には元来、意思疎通をはかるために“伝える”という要素だけでなく、

 わざと“伝わらないようにする”要素も含まれており、

 様々に変化し、多様化していくという、二律背反した要素が備わっているのだ。

・ケンボー先生は、「ことばは、音もなく変わる」と言った。

 山田先生は、「ことばは、不自由な伝達手段である」と言った。

 辞書に人生を捧げた二人の編纂者は、

 「ことば」というものの本質を見事に捉えていた。

 

う~む、なるほど……。

「ことば」に対する考え方が一変するような記述です…。

また、国語辞典については、著者は次のように書かれていました。

『多様な世界観で捉えた、手の平でおさまり、無限に広がる“宇宙”

 それが「国語辞典」だった。』

 

なお、本書には、二つの辞書から、いくつかの「語釈」が紹介されていますが、

やはりその極めつけは、「新明解(三版)」の【世の中】という語釈だと思います。

【世の中】

 同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織りなすものととらえた語。

 愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、

 常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。

 

実に惚れ惚れする語釈です……。

私も、そして皆さんも、まさしくその【世の中】に、今、生きています。