2025年国際博覧会(万博)の大阪誘致について、
誘致委員会が昨日24日、仏パリにある博覧会国際事務局(BIE)に
立候補を届け出たそうです。
そして、今日25日の朝日新聞デジタル版「耕論」は、
『いまこそ万博?』というタイトルで、
記事の冒頭は、次のような問い掛けの文章で始まっていました。
『2025年の万国博覧会(万博)を大阪で開催しようと、
誘致活動がいよいよ始まる。競合相手は、パリ。なぜ、日本で万博なのか。
万博は、いまも未来社会の姿を示せる舞台なのか。』
この問い掛けに対し、3人の方が答えられていましたが、
そのうちのお一人、空間メディアプロデューサーの平野暁臣さんは、
次のように述べられていました。
『2025年万博の大阪誘致は、1970年の大阪万博を小学生から
中学生のころに経験した「万博少年」のノスタルジーがあると思います。
万博は誇らしく強い成功体験であり、同世代の私にとっても、大事件でした。
今回、無意識のうちに「あの夢をもう一度」という気分になっていないでしょうか。
時代は変わり、万博は構造的な問題を抱えています。
成功体験との決別から、始めなければなりません。
~(略)~
70年の大阪万博が入場者6422万人という当時の最高記録を
樹立できたのは、ひとえに強力な非日常を提示できたからでした。
宇宙船やアポロが持ち帰った月の石など、
会場に満ちていた「未来」と「外国」はSFの世界のようで、
大衆にとっては夢や希望でした。高度成長期の日本人は、
戦勝国と同じ生活水準にはい上がったと実感できました。
万博は、わくわくする「私の未来」をエンターテインメントとして
提供できる、唯一のメディアでした。
万博の役割とは、「私と関係があるかもしれない」と知的好奇心を刺激し、
身体感覚で感じてもらえるかどうかです。
情報環境が大きく変わり、これまでと同じことをしていては感動は再現できません。
無邪気に未来を礼賛することもできなくなりました。』
その大阪万博には、私は中学3年生の夏休みに、
父と小学4年生の弟の3人で行きました。
この時、生まれて初めて飛行機に乗りました。
それぞれのパビリオンの展示内容は記憶の彼方に消えてしまったけれど、
「ここが日本か」と思うような異次元の世界に来た感覚を持ったこと、
人がとにかく多かったこと、とても暑かったことは、今でも強烈に覚えていて、
平野さんが言われているように、当時、中学3年生の「万博少年」に、
夢と希望を与えたことは間違いのない事実です。
2025年には、私は生きていれば69歳……。
もう一度あの時のように、一人の人間と人類の未来に
夢と希望を与えてくれるような万博になるのであれば、
たとえ「ノスタルジー」と言われても、今から楽しみに待ちたいと思います。