昨日書いた日記が、書き始めてから2000日目の日記となりました。
子どもの頃から、なにかにつけ、三日坊主で終わることの多かった私が、
よくぞここまで続けられたものだと思うと、感慨深いものがあります。
心と身体の健康に留意して、次は3000日を目指したいと思います。
さて、2001日目の日記は、読書・文学の日記です。
長く積読状態にあった『三島由紀夫の言葉~人間の性』(佐藤秀明著:新潮新書)を、
ようやく読了しました。
この本は、「三島研究の第一人者が厳選した至極の名言集」とのことでしたが、
その「至極の名言」のなかでも、私の心に残った上位5つは、次のようなものでした。
・「またお目にかかる日をたのしみに」
これは押しつけがましくない、よい結びの文句です。
再会を必ずしも約さない。人生でもう二度と会う日はないかもしれないが、
この前会ったときはたのしかった、という気持が言外にあふれている。
人生に対して、他人に対して、欲張った望みを持ちすぎない、という、
聡明で清潔な人柄が溢れている。
腹八分目で、少し足りないくらいのところが、人生の最上の美味なのです。
「またぜひお目にかかりたいと思います」という結びは、少し脅迫じみている。
・人生は、成熟ないし発展ということが何ら約束されていないところに
おそろしさがある。われわれはいかに教養を積み知識を積んでも、
それによって人生に安定や安心が得られるとは限らない。
・われわれは心の死にやすい時代に生きている。
しかも平均寿命は年々延びていき、ともすると日本には、
〔大塩〕平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」
という人が無数にふえていくことが想像される。
肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。
われわれの戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉体の安心無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのである。
・あの戦争についての書物は沢山書かれているが、証人は次第に減り、
しかも特異な体験だけが耳目に触れるから、
今の若い人たちは戦時中の生活について、暗い固定観念の虜になりがちである。
そこにも平凡な人間の生活があり、平凡な悲喜哀歓があり、日常性があり、
静けさがあり、夢さえあったということは忘れがちである。
たとえば私がクラヴサンの音色を、
戦争中の演奏会におけるほど美しく聴いたことは、後にも先にもないのである。
・おそろしいほどの喪失感。
………それが春であり、それが桜であり、それが日本の詩であるとすれば、
私はおそろしい国に生まれて来てしまったものだと思った。
う~む………。
こうして選んでみると、私には思想的に偏りがあるのかもしれません。
ちなみに、著者はこの本の「はじめに」で、次のように述べられていました。
『三島由紀夫の言葉をストレートに受け止めるには、少し立ち止まって、
それが「生活」の言葉なのか、「思想」の言葉なのかを一度切り分けてみるのも、
やってみるだけの価値のある試みではないだろうか。
三島自身もまた、そういう切り分けと使い分けをしばしばしているからである。
そしてそれは、三島由紀夫が考える「人間の性(さが)」を読む鍵の一つにもなる。』
次は、これまた積読状態にある、
三島由紀夫の『文章読本』(中公文庫)にもチャレンジしたいと思います。
- 作者: 佐藤秀明(編)
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/11/13
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