しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

積み重ねて2000日

昨日書いた日記が、書き始めてから2000日目の日記となりました。

子どもの頃から、なにかにつけ、三日坊主で終わることの多かった私が、

よくぞここまで続けられたものだと思うと、感慨深いものがあります。

 心と身体の健康に留意して、次は3000日を目指したいと思います。

 

さて、2001日目の日記は、読書・文学の日記です。

長く積読状態にあった『三島由紀夫の言葉~人間の性』(佐藤秀明著:新潮新書)を、

ようやく読了しました。

この本は、「三島研究の第一人者が厳選した至極の名言集」とのことでしたが、

その「至極の名言」のなかでも、私の心に残った上位5つは、次のようなものでした。

 

・「またお目にかかる日をたのしみに」

 これは押しつけがましくない、よい結びの文句です。

 再会を必ずしも約さない。人生でもう二度と会う日はないかもしれないが、

 この前会ったときはたのしかった、という気持が言外にあふれている。

 人生に対して、他人に対して、欲張った望みを持ちすぎない、という、

 聡明で清潔な人柄が溢れている。

 腹八分目で、少し足りないくらいのところが、人生の最上の美味なのです。

 「またぜひお目にかかりたいと思います」という結びは、少し脅迫じみている。

 

・人生は、成熟ないし発展ということが何ら約束されていないところに

 おそろしさがある。われわれはいかに教養を積み知識を積んでも、

 それによって人生に安定や安心が得られるとは限らない。

 

・われわれは心の死にやすい時代に生きている。

 しかも平均寿命は年々延びていき、ともすると日本には、

 〔大塩〕平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」

 という人が無数にふえていくことが想像される。

 肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。

 われわれの戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、

 ひたすら肉体の安心無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのである。

 

・あの戦争についての書物は沢山書かれているが、証人は次第に減り、

 しかも特異な体験だけが耳目に触れるから、

 今の若い人たちは戦時中の生活について、暗い固定観念の虜になりがちである。

 そこにも平凡な人間の生活があり、平凡な悲喜哀歓があり、日常性があり、

 静けさがあり、夢さえあったということは忘れがちである。

 たとえば私がクラヴサンの音色を、

 戦争中の演奏会におけるほど美しく聴いたことは、後にも先にもないのである。

 

・おそろしいほどの喪失感。

 ………それが春であり、それが桜であり、それが日本の詩であるとすれば、

 私はおそろしい国に生まれて来てしまったものだと思った。

 

う~む………。

こうして選んでみると、私には思想的に偏りがあるのかもしれません。

ちなみに、著者はこの本の「はじめに」で、次のように述べられていました。

三島由紀夫の言葉をストレートに受け止めるには、少し立ち止まって、

 それが「生活」の言葉なのか、「思想」の言葉なのかを一度切り分けてみるのも、

 やってみるだけの価値のある試みではないだろうか。

 三島自身もまた、そういう切り分けと使い分けをしばしばしているからである。

 そしてそれは、三島由紀夫が考える「人間の性(さが)」を読む鍵の一つにもなる。』

 

次は、これまた積読状態にある、

三島由紀夫の『文章読本』(中公文庫)にもチャレンジしたいと思います。

三島由紀夫の言葉 人間の性 (新潮新書)

三島由紀夫の言葉 人間の性 (新潮新書)