今日で8月も終わりです。日中は相変わらず残暑が厳しいものの、
朝夕に吹く風と、窓越しに聞こえてくる虫の音は、すっかり秋らしくなってきました。
私にとってこの夏は、体調不良もあって、とても過酷な夏となりました。
この秋には、体調と気力の回復に努めたいと思います。
さて、9月2日号の「週刊ダイアモンド」の特集は、
「定年後の歩き方 お金・仕事・人脈」というもので、
記事のなかには、私の心中を見透かしたような、次のような記述がありました。
『定年に伴って管理職から外れ、
若い平社員たちと机を並べて仕事をするようになっても、
「新入社員のときに戻ったようだ」と新鮮さを感じるのはほんの一瞬だけ。
また一から出直しとモチベーションを高める方向にはなかなか向かず、
「40年近く真面目に勤めてきたのにこの扱いか」と、
へそを曲げる方に向かいがちだという。会社をここまで成長させてきたのは、
自分たちの世代だというプライドが邪魔しているように映るが、
そうした心情の底流には
「60歳で年金をもらい、 引退できればこんなことにならなかった」
という“被害者意識”が少なからずある。
確かに、現時点で60歳の定年前後の人たちが就職したときは、
厚生年金の支給開始は60歳だった。
それが働いているうちに、少子高齢化とともに制度が変遷し、
気付けば支給開始が65歳まで段階的に
引き上げられるかたちになってしまったのだ。
定年から年金支給までの「空白期間」が、企業や働く人に与えた影響は大きい。』
そうか、そうだったのか……。
60歳でのハッピーリタイアを夢見ていた私が、
理想と現実のあまりのギャップに落胆したその心情の正体は、
この“被害者意識”だったのですね……。
特集記事ではこのほかにも、
「とりわけ厳しいのが、定年後から年金を受給するまでの間」で、
「思ったより生活費が下がらない人が多い」という記述もありました。
私の場合、この「空白期間」は艱難辛苦の日々になりそうです。
いや、まてよ……。この日々が「死ぬまでずっと」続くとしたら、
一体、私はどうしたらいいのでしょう…ね?(苦笑)