しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「ただオロオロした」という記憶

『ふたたびの生』(柳澤桂子著:草思社)を読了しました。

 

『死の淵から奇跡的な快復をとげて、生命科学者は見つめ直す

 生きていることの意味』 単行本の本書の帯紙には、このように書かれていました。

 

「診断もつかない病に倒れて30年」という、著者の苦悶の日々を綴った文章…。

母が慢性気管支喘息で苦しむ姿を見てきた私は、

著者のそうした文章よりも、むしろ、著者の御主人が書かれた

「あとがき~家族に病人がいるとき」に心を打たれました。

例えば、次のような記述には、胸がつまる思いでした。

 

・私は決して働き者ではないが体を動かすことに抵抗はない。

 しかし、病人がいるという現実が、こんなにも家族の心を重く沈ませ、

 耐えがたくするものだとは思っていなかった。 ~ (略) ~

 病人や身障者を抱えている家族はどんなに遠くへいっても、

 どんなに楽しみのなかにいても、病人や身障者のことが脳裏にしみついて

 決して離れることがないのだ。

・激しい痛みはたいてい右季肋部ではじまった。私はただオロオロした。

 オロオロしていると家内は、

 「痛いのは私ですから、あなたはしっかりしてください。」という。

 しかし、こっちも心臓が痛み呼吸が苦しくなった。

 医師が、どんなに苦しむ患者をみても冷静でいられるのは、

 患者と距離をおいているからだと思う。

 私も距離をおかなくては、でなければ、

 長い介護は続けられないと言いきかせるのだが、ただオロオロするばかり、

 これは生まれつきで努力してできることではなさそうだ。

 それにしても、この状況でもし、私のほうが先にいったら、

 残された家内はどうなるのだろうと心配だった。

 

私も、母が息をするのもやっとのように咳き込むときには、

「ただオロオロするばかり」で、背中をさすること以外は、まったく無力でした。

そのような弱い私を、いやでも思い起こさせる文章でした。

母には、苦労ばかりかけて親孝行ができなかったことを、

今でも申し訳なく思っています……。

 

そして、自分がもし寝たきりになった時には、

著者のように生きる意味を見いだせるのか、…など、深く考えさせられた本でした。

 

ふたたびの生

ふたたびの生