しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

どうありたいか‥。

今日2日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、前衛芸術家・岡本太郎さんの

『本当に叫びたいこと、一人一人の腹の底の、血の吹きだすような訴えに、

 社会は応えてくれない。だからひどくバラバラ。責任がない。』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。


『「結局は疎外感だけが残る」と続く。

 一見何でもやれそうに見える社会だが、人はただ「許された範囲内でもがいている」だけ。

 息抜きや憂さ晴らしにかまけていないで、その孤立をもっと突きつめよと、

 前衛芸術家は檄(げき)を飛ばす。

 何ができるか、できないかではなく、何をしたいか、どうありたいかに重心を移せと。

 「原色の呪文」から。』


う~む‥‥??

今回は、岡本さんの「ことば」も、鷲田さんの「解説」も、

その意図するところが私にはよく理解できませんでした。

岡本さんの「社会は応えてくれない」から

「だからひどくバラバラ。」「責任がない。」にどうつながるのか、

鷲田さんの「その孤立をもっと突きつめよ」とは、なぜ、どのようにそうするのか‥‥??


おっしゃっていることが理解できたのは、

「何ができるか、できないかではなく、何をしたいか、どうありたいかに重心を移せ」という記述で、

これはとても大切なことではないかと思いました。

「何をしたいか、どうありたいか」は、本人の欲求的・希望的要素がありますが、

これが「何をすべきか、どうあるべきか」という義務的・強迫的表現(?)になると、

ちょっと荷が重くなります‥‥。