今日2日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、前衛芸術家・岡本太郎さんの
『本当に叫びたいこと、一人一人の腹の底の、血の吹きだすような訴えに、
社会は応えてくれない。だからひどくバラバラ。責任がない。』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『「結局は疎外感だけが残る」と続く。
一見何でもやれそうに見える社会だが、人はただ「許された範囲内でもがいている」だけ。
息抜きや憂さ晴らしにかまけていないで、その孤立をもっと突きつめよと、
前衛芸術家は檄(げき)を飛ばす。
何ができるか、できないかではなく、何をしたいか、どうありたいかに重心を移せと。
「原色の呪文」から。』
う~む‥‥??
今回は、岡本さんの「ことば」も、鷲田さんの「解説」も、
その意図するところが私にはよく理解できませんでした。
岡本さんの「社会は応えてくれない」から
「だからひどくバラバラ。」「責任がない。」にどうつながるのか、
鷲田さんの「その孤立をもっと突きつめよ」とは、なぜ、どのようにそうするのか‥‥??
おっしゃっていることが理解できたのは、
「何ができるか、できないかではなく、何をしたいか、どうありたいかに重心を移せ」という記述で、
これはとても大切なことではないかと思いました。
「何をしたいか、どうありたいか」は、本人の欲求的・希望的要素がありますが、
これが「何をすべきか、どうあるべきか」という義務的・強迫的表現(?)になると、
ちょっと荷が重くなります‥‥。