哲学者の木田元さんが、『反哲学入門』(新潮文庫)で、次のようなことを書かれています。
『わたしは50歳のころに、一度、急性膵炎で死にかかったことがあります。
出先で痛みはじめ、救急車で厚生年金病院に運びこまれたのですが、
とてつもなくお腹が痛いのに放っておかれた。
そのときは、子どものころから何度もやったことのある胃痙攣だと思っていたし、
モルヒネを打てば痛みがとまるということは知っていたので、医師にたのむけれど、
中毒患者がよく救急車で運びこまれて薬を手に入れようとするらしくて、
ぜんぜんかまってくれない。
こっちが、ウワゴトのように、モルヒネ、モルヒネと繰り返していたので
かえって怪しまれていたのかもしれません。
七転八倒して苦しんでいるのにまったくかまってもらえず、
ああ、こうやって死ぬんだな、と思いました。
しかし、わたしがそのとき苦しみながら考えていたのは、ああ、あの歌いい歌だったけれど、
とうとう覚えないでしまったな、ということでした。あとから思い出してみると、
どうやら「ふきのとう」というフォーク・デュオが唄っていた
「白い冬」という歌だったようです。少し前に流行っていた歌でした。あとになって、
われながら、生死の境でよくこんな下らないことを考えるものだとあきれましたね。
~ (中略) ~
哲学者だから、生死の境に立てばなにか考えるだろうと期待されるかもしれないけれど、
世のなかそう都合よくはいきません。だいたい、ほんとうに肉体的に苦しい時には、
生死の問題のような抽象的なことを考えている余裕はありません。
ものが食べられないとか、治療のためにムリをしても食べなければいけないとか、
眠れないのに眠らなければいれないとか、考えるのはそんなことばかりでした。』
今回の私の病は生死の境に立つようなものではなかったけれど、
どんなことを考えて寝床に臥せっていたかというと、
まず、初日(火曜日)と二日目(水曜日)は、「早くこの熱が下がらないかなぁ~」
「お酒はいつ飲めるようになるかなぁ~」「それにしても寒い日が続くなぁ~」‥‥‥。
こんなことばかり考えていました。
少し病状が落ち着いてきた三日目(木曜日)は、処理期限が迫っている仕事のことが気になり出して、
「明日(金曜日)は、少し無理をしてでも仕事に行くべきか」
「それとも早い回復を優先して休むべきか」「でも明日休むと、週明けの月曜日の机上には、
処理を急ぐ書類がさらに多くなっているような予感がするし」‥‥‥。
こんなことばかり考えていました。
結果的に前者を選択し、金曜日に出勤して仕事をある程度片付けた結果、仕事の不安は和らいだものの、
肉体的なダメージが予想外に大きく、今日は、寝たり起きたりの一日となりました。
これは、別に私が仕事熱心なのではなく、逆に仕事があまり好きでないから、
いつも自分の精神の安定が優先する方を選択するのだと思います。要するに、小心者なのです。
でも、木田さんの文章を思い出して、自分なりに安堵(?)しているところです。
いゃあ~それにしても、著名な哲学者が生死の境で脳裏に浮かんだという
「ふきのとう」の「白い冬」は、やっぱり誰にも愛される、名曲中の名曲なのですね‥‥。
大いに納得しました。