『歴史の愉しみ方~忍者・合戦・幕末史に学ぶ』(磯田道史著:中公新書)を読了しました。
印象に残った記述のいくつかを、タイトルを含めて次のとおり書き残しておきます。
・「司馬さんに会えたらという反実仮想」から
わたくしは、怒りをおぼえる。電力会社の幹部や原発の権威者に、ではない。
平成の今になって、わたしたちが目にしたのは、「立派な現場・駄目な指揮・とんでもない兵站」
であり、「想定は外・情報は内」という、あいも変わらぬ、この国の姿であった。
「これこそが司馬さんが生涯かけて、筆の力で、日本人に更改をせまったものではなかったか。
昭和のあの戦争の失敗の時から、われわれはなんにも変わっちゃいないんじゃないか」。
そういう持って行き場のない憤りが、心中に、ふつふつと沸いてきた。
・「日本人の習性は江戸時代に」から
19世紀の日本人の強みは「世の中は変わる。人智と機械は進歩する」と信じ
「過去にとらわれず自らを変える」のに躊躇しなかったことである。
当時、これを「変通」といった。変化に通ずるという意味である。秋山真之などは変通の典型。
~(略)~ 日本人の習性、その強みや弱みはすでに江戸時代に形成されているものが多い。
この国の改革には、まずはその習性を知らねばならぬ気がする。
・「この国の経理の歴史」から
時代は変わっても経理の目的は一つだ。「ものごとを見えるようにすること」。
これにつきる。計算と資料作成をいくら緻密に行っても、この目的を見失った経理は意味がない。
どれくらい食べ物があるかを必死に計算した縄文人の気持ちこそ、経理の原点かもしれない。
・「心の丈夫なる馬を用ゆべし」から
疾風に勁草を知るという言葉があるが、人間でもなんでも危機のとき、その真価がみえるものだ。
強風がふくと、たいていの草は弱々しくなびくが、
そのなかに数本、ピンと立っている勁(つよ)い草がみえる。
大事が起きたとき、めまいを起こして現場で指揮をとれなくなる学歴エリートの指導者は、
あまりにも特化されたイチゴのような人かもしれない。
平時にはよかろうが、異常時にはむかない。
・「津波と新幹線」から
寺田寅彦は「津波と人間」で、こうものべている。「しかし、少数の学者や自分のような苦労症の
人間がいくら骨を折って警告を与えてみたところで、国民一般も政府の当局者も決して問題にはし
ない、というのが、一つの事実であり、これが人間界の自然方則であるように見える」。
この時代よりは人間は進歩していると信じたい。苦労症の歴史学者は、ほんとうに心配している。
ふぅ~、疲れました。もっともっと書き残しておきたい記述があるのですが、これくらいで‥‥。
著者は、この本の「まえがき」で、
『歴史は魅力的であると同時に、人命さえ救いうる有用性をもっている。
本書を最後まで読んでいただきたい。きっとあなたの身の安全にも役立つはずである。』
と述べられていました。
その言葉のとおり、歴史に謙虚に学ぶことの大切さを教えてくれる、貴重な一冊だと思います。

- 作者: 磯田道史
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/10/24
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