今日21日の朝日新聞「天声人語」は、大学の「立て看板」に関するコラムで、
次のようなことが書かれていました。
『~(略)~昔のことを思い出したのは、大学の立て看板が消えていくとの記事を目にしたからだ。
大学当局の規制が強まり、情報伝達もネット上のSNSが主流になったという話だった。
タテカン文化が残る京都大も規制の方針が出ていると知り、訪ねた。
催し物、勉強会、大学への抗議……。立て看板を出している人たちに連絡し聞いてみた。
なぜタテカンを。SNSじゃだめですか。
「SNSもやってるけど興味のある人しか見てくれない。
タテカンだと普通に歩いてたら目に入る。存在するだけで発信してくれる」
「周りの人すべてにメッセージを伝える手段って、意外と少ない気がする。
タテカンは貴重です」。ネットで誰もが発信できる時代になった。
垣根のない空間ができるかと思いきや、むしろ主張や好みによる分断が起きている気がする。
板に大きな字を書くという単純さが懐かしくもなる。押しつけがましく暑苦しい。
でも誰かに届けと願う。そんな手作りのメディアが追いやられるのは、いかにも惜しい。』
このコラムを読んで、早稲田のキャンパスを思い出しました。
私が早大に入学したのは、一浪後の昭和50年4月‥‥。
当時の早大はまだ学生運動の「爪痕」が残っていて、学生会館は極左学生組織に占拠されたまま、
正門周辺には機動隊の装甲車が日常のように横付けされていました。
そして、キャンパス内には、コラムに書かれていたような「立て看板」が所狭しと建ち並び、
大勢の学生がその間を行き交い、まるで新宿駅構内を歩いているような錯覚を覚えたほどです。
「立て看板」に描かれたものは、過激なアジやサークルの勧誘など実にさまざまで、
見ようによっては、前衛アートを鑑賞しているような感覚でした。
「周りの人すべてにメッセージを伝える手段」。
コラムでは、「立て看板」のことがこのように書かれていました。
大学生の頃の私は、当時の「立て看板」を見て、そこからどんなメッセージを受け取ったのか?
今となっては、その時の「心の様相」「青春の一断面」を思い出すことさえできません‥‥。