昨日のこの日記では、途中で読むのを挫折した本として、
最後まで読み通したものの、読後の後味が悪かった本の一つに、
ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』があります。
(後味が悪かったのは、主人公が拷問に屈して体制側の思想を、その意志に反して、
最後は全面的に受け入れたのではないかと、私が理解したからです。)
昨日の朝日新聞デジタル版「日曜に想う」は、
『思い起こした一九八四年』というタイトルのコラムでしたが、
森友文書の改ざん問題に関連付けて、この小説のことが次のように書かれていました。
『 ~(略)~ あまりに露骨な書き換えに、全体主義国家の恐怖を描いた
ジョージ・オーウェルの傑作「一九八四年」を思い起こした人もいたようだ。
小説の主人公は「真理省記録局」という部署に勤めている。
政府の都合と主張に合わせて過去の新聞記事を改変するのが仕事である。
たとえば独裁者が世界情勢の見通しを語る。
それが現実にならなかった場合には、現実に起こった通りに語ったことにして書き換える。
つまり、すべての過去を現在の状況に合致するように変えていく。
刊行物、映像、統計などあらゆるものを改ざんして「真実を管理」し、
独裁者を絶対化するのである。
財務省が書き換えを認めた翌日、さっそく本紙川柳欄に
〈現実にあったオーウェル「真理省」〉の一句が載った。揶揄(やゆ)ではあるまい。
おぞましい小説を地で行くような財務省への、
むしろ悲痛な思いを込めた投句であろうと想像する。 ~(以下、略)~ 』
スミマセン‥‥。知的連想力のない私は、このコラムを読むまで、
森友文書改ざん問題と、この小説の内容をリンクさせることができませんでした。
全体主義や監視社会の恐怖を描いたという点では、
最近、「終身体制」を可能にした某国家のことを、私なんかはすぐに連想してしまいますが、
一九八四年の「真理省」と長期の「一強政権」の弊害を、一足飛びに結び付ける朝日新聞は、
目の付け所が違うのかもしれません。
ひょっとして、日本はもう既に、全体主義国家、独裁国家なのかしら??
国権の最高機関である国会が曲がりなりにも機能している以上、
私はちょっと違うと思うのだけれど‥‥。