『財務次官のセクハラ報道 見えぬ働く女性への配慮』という記事タイトルの記事を読んで、
いろいろと考えるところがありました。
池上さんは、全国各紙の報道について、次のように述べられています。
『女性がセクハラの被害を訴えると、男社会の中でどんな扱いを受けるのか。
このところの財務事務次官をめぐる報道で、日本社会の現実が見えてきました。
福田淳一事務次官が麻生太郎財務相に辞任を申し出て受理されたのは4月18日のこと。
翌19日の朝刊各紙の扱いを見ると、朝日新聞、毎日新聞はいずれも1面トップで扱っています。
これに対して読売新聞は1面の左肩。トップ記事は日米首脳会談です。
この時点で何が一番のニュースか、判断が分かれました。
さて、日経新聞はと見ると、1面に記事が見当たりません。
なんと5面の経済面に3段の扱いで掲載されています。
これ以外に社会面で大きく扱ってはいますが、経済面での小さな扱いには驚きます。
日経新聞は、このところ働く女性たち向けの企画を掲載するなど
女性読者を意識した新聞づくりをしてきたはずです。
朝の通勤電車の車内で日経新聞を読んでいる女性の姿をよく見かけるようになりました。
日本の組織は企業も官庁も、まだまだ男社会。セクハラで悩む女性も多いはずです。
そんな女性に寄り添った紙面づくりはできなかったのか。読者として疑問が残ります。
この日の紙面では、テレビ朝日の報道局長が緊急記者会見を開いたことも
各紙が取り上げています。同社の女性記者がセクハラの被害を受けていたと発表したのです。
この問題では、セクハラを受けたと感じた女性記者が事務次官との会話を録音し、
それを「週刊新潮」に渡したことの是非もニュースになっています。
同日付の読売新聞は社会面にテレビ朝日の記者会見での主なやりとりを掲載しています。
~ (中略) ~
この扱いを見ると、読売としては記者が次官とのやりとりの音源を
週刊新潮に渡したことを重大視していることがわかります。
~ (中略) ~
取材行為において、相手に対して録音することの許可を求めるのは一般的なルールです。
取材相手は、この音源が、取材記者が原稿を書く際の正確性の担保になると思って
承諾しているはずです。それを第三者に渡したら、確かに記者のモラルが問われます。
でも、女性記者がセクハラを受けていると感じて録音を始めたのなら、
これは取材活動ではなく、被害者の自己防衛です。
セクハラ被害を受けたと訴えた場合、往々にして「言った、言わない」の
争いになってセクハラの認定が難しくなるので、録音するのは当然のこと。
その録音内容を自分が所属する会社が報じてくれないなら、どこへ訴えればいいのか、
ということになります。記者も人間です。
取材活動なのか、人間としての尊厳を守る自己防衛なのか。
そこをはっきりさせて論じる必要があるのです。』
う~む、なるほど‥‥。そういう読み方があるのですか‥‥。
ただ、経済専門紙である日経新聞に、その経済面で大きく扱うことを求めるのは、
ちょっと厳しすぎるような気がしました。
また、女性記者が財務次官との会話を録音していた件については、
どこに視点を置いて物事を考えるべきなのか、とても勉強になりました。
今回の問題を、記者の取材活動と混同してはいけなかったのですね‥。
実は私も、最初にこの報道に接した時には、
「ハニートラップ」という言葉が、一瞬頭をよぎりました。
私の思考は、女性への配慮に欠けた、頭の古い人間のそれだったことは明らかで、
深く反省しなければなりません。
鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」の歌詞ではありませんが、
今の日本には、私のように「古い奴だとお思いでしょうが‥」タイプの人間が、
結構「棲息」(??)しているような気がします。