二十四節気の「立夏」も過ぎ、七十二候では「蛙始めて鳴く(5/5~5/10)」頃だというのに、
ここ数日、気温は低めで肌寒く、我が家の近辺ではカエルも一向に鳴く気配がありません。
そして、私はといえば、ゴールデンウィーク後半に引いた風邪がいまだに抜けきらず、
体調が芳しくない状態が続いています。加齢とともに身体の抵抗力がなくなっていこともあるのでしょうが、
それよりも、普段から身体を鍛えていないのが遠因なのではないかと、自分なりに解釈しています。(反省)
さて、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、イラストレーター・山藤章二さんの
『夫婦には一般論とは別の世界があるのだ。』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『似合いのペアかと思えばすぐに別れる。相性が悪そうでも何十年と保(も)つ。
仲裁の労をとろうものならとんだ「三枚目」になると、イラストレーターは苦笑い。
が、夫婦が一般論で説けないならそこに生まれた子にも一般論は無用だ。これは愉快な道理。
でもそこからは、自己のありようは育った“環境”のせいにできないとの厳しい結論も出てこよう。
「はじめての八十歳」から。』
う~む‥‥‥。(沈黙)
今日の鷲田さんの解説をどのように理解したらいいのでしょう?
「夫婦が一般論で説けないならそこに生まれた子にも一般論は無用だ。」というのは、
何となく雰囲気で分かりますが、
そこから次の、「でもそこからは、自己のありようは育った“環境”のせいにできない
との厳しい結論も出てこよう。」にどう結びつくのか、私にはイマイチ理解できませんでした。
それはさておき、「相性が悪そうでも何十年と保(も)つ。」というのは、
まさに私たち夫婦を指しているみたいです。(苦笑)