今日は母の日です。新聞紙面では「母」という文字の由来について学べる記事が二つありました。。
まず、朝日新聞一面コラム「天声人語」には、次のようなことが書かれていました。
『きょうは母に感謝する日であり、母を思う日である。
でも、お母さんが自分をねぎらう日であってもいい。頑張ってるね。
あるいは昔を振り返り、よくやったねと。
〈母は/舟の一族だろうか。/こころもち傾いているのは/どんな荷物を/積みすぎているせいか。〉
吉野弘さんのそんな詩に触れると、母と舟の文字が似ているのが偶然でない気がしてくる。
母、妻、そして働く者として、背負う荷が重すぎるなら、どこかに無理が来る。』
次に、日経新聞文化欄「遊遊漢字学」では、漢字学者の阿辻哲次さんが、
次のようなことを書かれていました。
『今の字形からはすこしわかりにくいが、「母」は「女」という漢字を基礎にしており、
「女」の中央部、すなわち胸にあたる部分に点を二つ加えると「母」になる。
この点は乳房の先にある乳首を表しており、それが「母」という漢字にいまも二つの点として残っている。
乳房は未出産の女性にもあるし、男にもある器官だが、しかし乳房が果たすもっとも重要な働きは、
いうまでもなく赤ちゃんに対する授乳である。
だから「女」という大きな集合の中から、「母」という小さな集合を取り出すための、
もっともわかりやすい指標として乳房が使われた。
古代中国人は愛する子どもに授乳する豊かな乳房を強調することで、母という大切な概念を表した。』
う~む、なるほど‥‥。「母→舟」と「女→母」ですか‥‥。
「母」という文字に込められた意味は、奥深いものがあるのですね。
ちなみに、吉野弘さんの詩には、「母・船・雨」という詩もあります。
『母という字は 女の中に二つの点 乳房を加えた形なりと ものの本に書いてある
舟の中にも 乳房がある? 佐藤春夫は、こう歌った
「若者は海で生まれた 風を孕(はら)んだ帆の乳房で育った」
雨の中にも 乳房がある? そうです 数えきれない雨の乳房で 育つものは数知れず』
これらの記事や詩に触発されて、今日は買い物帰りに、
「娘の母」であり「孫娘のグランマ」でもある妻に洋菓子を買って帰った私‥‥。
私という、重くて厄介な「お荷物」を背負って、「舟」が転覆しなければいいのですが‥‥。