今日10日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、嶋﨑今日子さんの
『人は生きていたように死んでいく。』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『樹木希林の最後の1年を撮ったテレビ番組を観(み)て、全身転移したガンの検査画像を見せたことと、
映画で入れ歯を外して老婆を演じたことは、
作品のためには全てさらけ出すという意味で「地続き」だったとライターは記す。
死にゆく姿が生の一部なら、生きるその姿も死の一部。時折耳にする言葉だが、樹木さんの人生にぴたり。
本紙大阪本社版のコラム「キュー」(3日朝刊)から。』
元横綱・輪島さんに関する追悼コラムで、次のようなことが書かれていました。
『一代の横綱が亡くなった。享年70。晩年まで出身地の石川県を大切にした。
現役時代からしばしば訪ね、子どもたちに相撲の魅力を伝えてきた。
母校の小学校に土俵を寄贈し、中学では合宿で後輩を鍛えた。
苦境続きの後半生でも明るさを失うことはなかった。本紙に語った言葉が忘れがたい。
「逆境という言葉は好きじゃない。人生なんてご飯と一緒。おいしい時もまずい時もあるんだからさ」』
「人は生きていたように死んでいく」、
「人生なんてご飯と一緒。おいしい時もまずい時もあるんだからさ」ですか‥‥。(感嘆)
何気ないようで、実はとっても重みのある名言だと思います。
まぶたの裏に焼きついた、樹木希林さんと輪島関の、お元気なころの懐かしい映像とともに、
この名言を記憶の片隅に残しておきたいと思います。