今日11日の朝日新聞デジタル版「耕論」は、
『お金で幸せになれる?』というタイトルの記事でした。
「お金でどこまで幸せを買えるのか」について、
波瀾(はらん)万丈の人生を送ってこられたという3人の方が、
それぞれのお考えを披歴されていましたが、
私はそのなかでも、約20年前にはホームレスだったという、
兼元謙任・オウケイウェイヴ代表取締役会長の、次のような発言が印象に残りました。
『両極端の生活を経験して学んだのは、
お金に振り回されず、主体的にお金を使うことの大切さです。
安売りという言葉にひかれてつい買ってしまう人は、お金に振り回されている人です。
値段に左右されず、本当に自分のほしいモノやサービスに
お金を使うのが主体的にお金を使う人です。自分の興味や欲求は「幸せ」に直結する。
だから値段で測ることはできません。
きれいにお金を使うことも心がけています。
もともとお金はきれいなものでも、汚いものでもありません。
相手に見返りを求めることなく、喜んで欲しいと純粋な気持ちで使えば相手も喜んでくれる。
後から数倍になって返ってくる可能性だってあります。
現在の日本は、お金があっても、孤独で幸せではない人が増えている気がします。
すべては心の持ちようではないでしょうか。
私の考える幸せとは、当たり前のありがたさを感じられることです。
例えば自分の足で歩けることは本来、幸せなことですが、普段はそう感じません。
ひとたび病気やけがになって初めて、そのありがたみがわかるものです。
お金があることを当たり前と思わずに、常にありがたいと思って使えば、
誰でも幸せを感じられるはずです。』
う~む‥‥。お金に関する主体性や計画性がない私には、とっても耳が痛いお話しです。
また、兼元会長の「すべては心の持ちよう」、「お金があることを当たり前と思わずに、
常にありがたいと思って使えば、誰でも幸せを感じられるはず」というご発言は、
確かにそのとおりだとは思うのですが、
定年退職後に手取り収入が大幅に減って、なけなしの貯蓄を取り崩すようになり、
お金そのものに不安がある生活を送り続けると、
心にまで余裕がなくなってしまった自分に気がつくことがあります。
「恒産なくして恒心なし」‥‥。お金はやっぱり、なによりあった方がいいと、私は思います。