大型連休後半初日の今日は、久しぶりの晴天となり、
妻と娘と孫娘と私の4人で、妻の実家のお墓参りに西予市野村町へ行ってきました。
大型連休中にしなければならない懸案事項が一つ片付いてホッとしています。
さて、新聞報道等では、「令和」に関するニュースや話題が大勢を占めていますが、
故・忌野清志郎さんについての次のようなコラムでした。その全文を引用させていただきます。
『「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。
どうしたらよいでしょう」。50年前、本紙の人生相談の欄に投稿が載った。
相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母である。
当時、東京都立日野高校で清志郎さんの担任だったのは、美術教師の小林晴雄さん。
「何年か好きなことをやらせてみましょう」。息子の将来を案じる母をそう説得した。
清志郎さんの代表曲の一つ「ぼくの好きな先生」のモデルになった人だ。
「清志郎さんは心底、小林先生を慕っていました。
偉ぶらず、叱らず、説教もせず、まれにぼそっと生徒をほめる。先生らしくない先生でした」。
そう話すのは日野高の2年後輩にあたる芝田勝美さん(65)。
卒業後も、小林先生、清志郎さんの双方と交流を続けた。
小林先生は日ごろ、職員室を敬遠し、美術準備室で絵筆を動かすのを好んだ。
定年退職後は公民館などで絵を教えた。
「本来は画家になりたかった人。淡い色調の風景画が味わい深かった」。
芝田さんが世話役を務める年1度の同高OB作品展には、小林先生も清志郎さんもたびたび絵を出品した。
会場に現れた清志郎さんを小林先生は特別扱いせず、あくまで教え子の一人として接したという。
清志郎さんは58歳で迎えた春の連休の5月2日に亡くなった。きょうで没後10年となる。
その才能を信じて見守った小林先生も昨春、86歳で世を去った。教師と生徒を結んだ終生の縁を思う。』
へぇ~、そうだったのですか‥‥。
私の好きな曲「ぼくの好きな先生」に、そのような心温まる逸話があったとは知りませんでした。
それにつけても、私はこのようなコラムにめっぽう「弱い」のです‥‥。
朝日新聞一面コラム「天声人語」と日経新聞一面コラム「春秋」を
毎日欠かさず読んでいると、こうした「心の琴線に触れるコラム」に出合うことができます。