今日は午前中に、実家のお墓にシキビをお供えし、
午後からは、母の故郷である伊予市双海町小網にお墓参りに行きました。(もちろん、今日は妻と一緒です。)
今年1月に亡くなった叔父が新盆を迎えるため、そのお焼香を兼ねての先祖のお墓参りです。
母の両親、すなわち私の祖父母のお墓は、海沿いに立地する母の実家(叔父の家です)から
徒歩で数百メートル登った見晴らしの良い高台に位置しています。
下の3枚の写真は、その高台に位置するお墓から撮ったもので、
右端の写真に写っているように、遥か遠くには松山市の沿岸を一望することができます。
子どもの頃、ここから小網の集落を見下ろすと、まるでピンクの絨毯のような景色を見ることができました。
庭先や屋根に筵(むしろ)を敷き詰め、そこに採れたてのエビを並べて、特産の干しエビを作っていたのです。
それは私にとって、この透き通るような海で泳いだ体験と共に、決して忘れることのない「原風景」です‥‥。
ところで、今日の日経新聞一面コラム「春秋」に、次のようなことが書かれていました。
『近所のスーパーにお盆用品を取りそろえた一角があった。
供物を載せる小さなござや、火をたくためのほうろく皿、線香にらくがん、ちょうちんなどなど。
都会の片隅でも、亡くなった人を迎える昔ながらの風習が息づいている。
どんな由来で、いつごろ始まったのか。 ~ (中略) ~
墓に参ってご先祖と向き合い、食卓を囲み父母や親族らと語らう。
だが、そんなひとときにも少子高齢化は、じわり影響を及ぼし始めたのかもしれない。
最近「墓じまい」なる言葉を見聞きするようになった。
管理しにくくなったケースで、墓石を片付けて更地にし、遺骨は別の納骨堂に移したり、
散骨したりするものだ。
5年前には、若い女性の減少で都会も含め多くの自治体が消滅危機とのショッキングな調査もあった。
「盆夕べ仏壇の灯に賑(にぎわ)へる」(大野林火)。
墓も故郷もなくなれば、句のごとき情景は遠いものとなろう。
社会が縮む中、店先にお盆の品が並ばない日が、やがて来るのだろうか。
大事な何かが失われつつある気がする。』
私の記憶の中からも、いつの間にか「大事な何か」が失われつつあるような気がします‥‥。
ご先祖様のお墓参りを済ませ、そのようなことを切に感じた次第です。