日経新聞電子版「出世ナビ」の7回連載企画、『田中角栄に学ぶリーダーの条件』の第5回目は、
「葬儀に2度目はない~秘書官を叱責した田中角栄の礼節」というタイトルの記事でした。
記事の冒頭は、「親を大切にできない人間が出世したためしはない。
後世に名を残したリーダーに共通しているのはいずれも親孝行だったということだ。
田中角栄もまたそうだった。」という文章で始まりますが、
具体的には、次のようなエピソードが紹介されていました。
『筋を通し、礼節を守るということでは、こんなこともあった。
小長(注:首相秘書官)は角栄から「まだまだ気配りが足らない」と叱られた。
その日は通産省として最も大切な審議会、産業構造審議会の開催日。
小長は角栄に大臣として挨拶をしてもらう日程を組んでいた。角栄は小長にポロッと尋ねた。
「おい、小長君、今日は誰かの葬式がなかったかね。俺の記憶ではあったような気がするんだが‥‥」
小長はギクッとした。さすがにコンピューター付きブルドーザーだ。
確かにその日、角栄の関係者の葬儀があった。忘れていたわけではなかった。
あえて予定から外したのだった。
「はい、あります。確かにお葬式は今日です。しかし、今日は産構審です。
こちらのほうが通産相としてお葬式よりも重要な行事ですから、そちらを優先いたしました」
こう答えると角栄の顔色がほんのわずかだったが変わった。
そして感情を抑えながら、静かな声でゆっくりとこう言ったのだった。
「これが葬式でなくて結婚式だったなら君の判断は正しい。俺も何も言わない。
新郎新婦にまた日を改めて会いにいき祝意を伝えればそれで問題はない」そして、こう続けた。
「だが、葬式は別だ。亡くなった人との最後の別れの機会だ。2度目はない。
今日、審議会があってダメなら、なぜ昨日、お通夜の日程を組まなかったのか」
結局、産構審が始まる前に葬儀場に寄ることができ、事なきを得たが、
人との関係を大事にする角栄らしい言葉だった。』
この記事を読んで、数年前に亡くなった大阪の叔父のことを思い出しました。
当時、現役職員だった私は、仕事を理由にして、叔父の葬儀を欠席しました。
父と叔母と、そして私の代わりに妻が、大阪での葬儀に参列しました。
今から思えば、妻が指摘するとおり、私がいなくても仕事にはまったく支障がなかったはずです‥‥。
わざわざ大阪から滋賀県大津市まで私を迎えに来て、そして甲子園まで連れて行ってくれた叔父‥‥。
それだけでなく、いつも私のことを気にかけてくれていました。
「葬式は別だ。亡くなった人との最後の別れの機会だ。2度目はない。」という言葉が、
後悔と自責の念とともに、ズシリと胸に突き刺さります‥‥。