上皇后美智子様の歌を引用し、中村哲さんの不条理な死を悼んだ今月5日の日経新聞「春秋」は、
名コラムだと私は思うので、ここにその全文を引用させていただきます。
『「知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず」。
私たちの胸に響く上皇后美智子さまのあまたの秀歌のなかでも、屈指の絶唱だろう。
2001年、アフガニスタンのイスラム原理主義組織は貴重な石仏遺跡を破壊した。
その無残な光景を詠まれた。
「われも撃ちしや」とは一体、何を意味するのか。
もし、人間に宿る憎しみや不寛容によって仏像が破壊されたとしたら‥‥。
私の心のなかにも他者を傷つける銃弾のようなものが、ないと言い切れるだろうか。
そんな内省の所産だろうか。
人々が生まれながらに背負う「原罪」に思いを致し、深い恐れを抱いたのである。
アフガニスタンで農業用水路の建設に尽力してきた
福岡市の非政府組織「ペシャワール会」の現地代表で医師の中村哲さん(73)が当地を車で移動中、
何者かに銃撃され死亡した。現場は最近、過激派組織が台頭し治安が悪化していたという。
同国政府は今秋、長年の貢献に対し中村さんに名誉市民権を授与したばかりだ。
この世には、神も仏もいないのか。現地の人々も深い悲しみに暮れていよう。
上皇、上皇后さまは平成の時代に、中村さんを何度か皇居・御所に招いている。
その篤実な人柄に敬意を抱き、活動の無事を祈り、励まされたのだ。
人間とはかくも気高く、また罪深い存在なのか。やりきれぬ思いに打ち沈む非情の銃弾である。』
「この世には、神も仏もいないのか」という悔しさと無念さは、
おそらく日本国民のほとんどの人が抱いた感情ではないでしょうか‥‥?
また一方で、自分の心の中にも、自覚しない「他者を傷つける銃弾」があるのではないかと
コラムを読んで自問自答した次第です‥‥。
ところで、昨日の明日佳くんは、ジャーナリストに向いているのではないかしら‥‥?
事象に対する鋭い分析力と卓越した文章力からすると、
ひょっとしたら深代惇郎さんのような名コラムニストになれるかもしれません。
いずれにしても、将来が楽しみな逸材であることは間違いないと思います。