土居丈朗・慶大教授の執筆による、今日の日経新聞「経済論壇から」が勉強になりました。
苅谷剛彦・英オックスフォード大学教授の、お二人の論評を紹介された箇所でした。
『民主主義と平等に関して興味深い考察をするのが、
人間は社会体制に適合的に行動するよう動機づけられやすい。
自由民主主義の下では順応主義は強い力を持って人々の考えや行動を画一化する。
民主的な力、すなわち平等への情熱は、
人々の自由を侵害する方向への傾斜を強める傾向を猪木氏はみてとる。
他方、先端的な技術も、分け隔てなく多くの人に享受され、生活の均質化・平等化がさらに進み、
全ての社会階層の人々が、等しく同じ技術進歩の恩恵に浴するようになるとみる。
はたして平等化への傾向は、今後どれほど強く生じるであろうか。』
『今月、最後の大学入試センター試験が実施された。
来年から大学入学共通テストに衣替えするが、その行方はまだ混沌としている。
英オックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏(中央公論2月号)は、
今回の大学入試改革をめぐる迷走は、エセ演繹(えんえき)型思考による失敗の典型と断じる。
これまでの教育実践の蓄積から帰納して政策を立てるという発想は封じられ、
実態把握を欠いたままでも、
次々と教育政策の言説を生産する演繹型思考によって政策立案されてしまったとみる。
それは、明治以降のキャッチアップ型の教育で、現実の社会現象から観察され、
集められたデータを基に理論化を進める帰納的思考よりも、
出来上がった法体系についての理解を進め、解釈を深める演繹型思考が重視された上に、
中途半端にわかったつもりで政策が作られるエセ演繹型へと堕していった。』
う~む、なるほど‥‥。
「民主的な力、すなわち平等への情熱は、人々の自由を侵害する方向への傾斜を強める」
「中途半端にわかったつもりで政策が作られるエセ演繹型へと堕していった」ですか‥‥。
本質をついた鋭いご指摘だと思います。
「民主主義と平等」「帰納的思考と演繹型思考」‥‥。
お二人のように、大きな視点で物事の本質を見極めることが大切なのですね‥‥。