今月2日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、思想家・オルテガの
「高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって計られる」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『高貴(ノーブル)な人とは、世襲される「血統」のことではなく、
「自分を超え、自分に優(まさ)った」規範に注目し、自らもまたその礎の一つになることを、
たとえ背伸びであっても自分に強く迫る人のことだと、スペインの思想家は言う。
人命を護(まも)るため、自らを後回しに奮闘する人はノーブルだが、
その人たちの身を案じて行動する人もまたノーブルである。「大衆の反逆」(神吉敬三訳)から。』
う~む、なるほど‥‥。重みのある言葉ですね‥‥。
新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、
患者の皆さんの治療のために、その身を挺してご尽力されている医療従事者の方々に対して、
尊敬と感謝の念を抱くことは、普通にできることかもしれませんが、
そういう方々の身を案じて、自ら行動を起こす人々の存在には、私は思いが至りませんでした。
「疾風に勁草を知る」ということわざがあります。
今回のような世界的規模の有事においてこそ、
真に「高貴な人」の存在が明らかになるのかもしれません‥‥。