一昨日のこの日記で、朝日新聞一面コラム「折々のことば」に掲載された
教育学者・苅谷剛彦さんの『英語で「セルフ・レスポンシビリティー」という言い方は普通しません。
「レスポンシビリティー」だけで十分だからです。』という言葉と、
その言葉に対する鷲田清一さんの解説の感想を書きました。
すると、今日の朝日新聞オピニオン欄「耕論」で、
文筆業の清田隆之さんが、「ゆがんだ自己責任論、映す」というタイトルで、
次のようなことを述べられていました。
『「レスポンシビリティー(責任)」の語源について、
英米演劇の研究者である恩師はこう教えてくれました。
レスポンス(応答、反応)+アビリティー(能力)で、応答できる力を持っていることが本質なのだ、と。
つまり、しかるべき役割や責務を果たそうとするのが責任で、
決して損害や損失を誰かのせいにすることではないはずです。
でも2000年代以降、日本人には若者のみならず多くの世代で無意識に、
ゆがんだ自己責任論がインストールされたように感じます。
コロナ危機のいま、それが「感染は、あなたの無知や油断のせいだ」という
他者への攻撃性に一層つながりやすくなっているのではないでしょうか。
我慢して努力して外出を自粛している人の中には
「不注意な若者が夜の街で感染して苦しむのは仕方ない」「人に感染させず、自分だけで死ね」
といった極端な思いに至る人もいるかもしれません。
ゆがんだ自己責任論がコロナ危機で煽(あお)られ、次第にむき出しになる。
他者への想像力は欠け、社会の紐帯(ちゅうたい)意識は後退していく。
僕はいまこの悪循環を最も恐れています。』
う~む‥‥。
苅谷さんのお言葉と同様に、「責任」の本質について、深く考えさせられるご指摘です。
私も、他者への想像力に欠けることがないよう、これからの言動に気を付けたいと思います。