先月28日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、女優・小林聡美さんの
『自分が五十になって思うのは、「こんな未熟モノで申し訳ない」ということである。』という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『齢(よわい)七十になった私も、そのとおりとしか言いようがありません。
ただ老年にかぎらず、人生のどの段階も年齢と心持ちはちぐはぐ。
若い時も極端に背伸びしたり萎縮したり。
でもこのずれをバネに人は頑張り、また反省してやりなおしてきました。
現在に甘んじないこと。これこそ文明の資源だと自分を慰めましょう。
加齢を自覚する日々を綴(つづ)る女優の随想「聡乃学習(サトスナワチワザヲナラウ)」から。』
はぃ‥、齢(よわい)六十四になった私も、そのとおりとしか言いようがありません。
ただ、鷲田さんの「人生のどの段階も年齢と心持ちはちぐはぐ」で、
「でもこのずれをバネに人は頑張り、また反省してやりなおしてきました」という解説を読むと、
なんだか、これまでの人生を肯定していただいたようで、ホッとした気持ちになります。
たぶん、ほとんどの人は、その生涯を閉じるまで、「未熟モノ」のままなのだと思います。
鷲田さんのお言葉を拝借すれば、だからこそ文明は発達してきたのだでしょうね、きっと‥‥。