今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、歌人・俵万智さんの
「発症者二桁に減り良いほうのニュースにカウントされる人たち」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『生存ということがむきだしになる時、人にとって日々の糧は、あるか、ないかである。
死も同じように、本人どころか家族にとっても、あるか、ないかである。
誰かの死は一つの死として、別の誰かの死と比較も計量も交換もできない。
が、人は知らぬまにそういう生の地表を立ち去り、死を上空から数える側に回っている。
「280歌人新作作品集」(「短歌研究」5月号)から。』
う~む‥‥。(沈黙) とっても重い言葉とその解説です。
新型コロナウイルスの新たな感染者数が、日に日に減少している報道に接して、
安堵の表情を浮かべている私は、鷲田さんが指摘されている、「生の地表を立ち去って」、
「死を上空から数える側に回っている」人の、罪深い一人なのだと思います。(反省)