「休校ののちに」というタイトルで、次のようなエッセイを寄稿されていました。
『‥‥今、いつ明けるとも分からない休校が続いている。
子どもたちは勉強しているだろうか、規則正しい生活を送っているだろうか、
私たち大人はつまらぬことばかり心配してしまう。が、たぶん大丈夫だ。
アイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、
ペスト禍でケンブリッジ大学が閉鎖されていた時だった。
湯川秀樹が中間子理論の端緒をつかんだのは、室戸台風で大学が休みの夜だった。
世界の見方を変えるような新しい知見は、一見無意味な空き時間から産み出される。
若者はそこから何かを確実につかみ出してくる。
生徒たちもそうなのだろう。
若い教師たちと同じように、生徒たちもまたこの閉塞した状況のなかから、
必ず、彼らなりの新しい何かを見出(みいだ)して来るに違いない。
新型ウイルスの拡大がある程度収まり、学校が再開されたとき、
私たちはその何かにはっきりと気づくはずだ。』
う~む、なるほど‥‥。なんだか明るい未来が見えてきそうな、とても心強いお言葉だと思います。
そういえば、一昨日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、
米国の社会学者、エリーズ・ボールディングの
「わたしたちがすることは、それがどんなにささいなことであっても、
すべてがある意味では発明なのです。」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『アインシュタインが相対性理論を着想したのも、少年期に登校拒否したのも、
塞いだ状況を切り抜ける工夫という意味ではいずれも「発明」だったと、米国の社会学者は言う。
そのためには、状況を違う視角で観察できる場所、じっと「身を寄せていられるくぼみ」、
つまりは「孤独」が必要だったと。「子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)」(松岡享子訳)から。』
はぃ‥「何かを生み出すには、物事を客観的に観察するための孤独(ひとり)の時間が必要であり、
かつ、人生を真摯に生きる者にとって、それは決して無意味な空き時間ではない。」
という理解でよろしいでしょうか‥‥?