しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

無意味な空き時間と孤独(ひとり)の時間

昨日の日経新聞文化欄に、歌人の大辻隆弘さんが、

「休校ののちに」というタイトルで、次のようなエッセイを寄稿されていました。


『‥‥今、いつ明けるとも分からない休校が続いている。

 子どもたちは勉強しているだろうか、規則正しい生活を送っているだろうか、

 私たち大人はつまらぬことばかり心配してしまう。が、たぶん大丈夫だ。

 アイザック・ニュートン万有引力の法則を発見したのは、

 ペスト禍でケンブリッジ大学が閉鎖されていた時だった。

 湯川秀樹が中間子理論の端緒をつかんだのは、室戸台風で大学が休みの夜だった。

 世界の見方を変えるような新しい知見は、一見無意味な空き時間から産み出される。

 若者はそこから何かを確実につかみ出してくる。

 生徒たちもそうなのだろう。

 若い教師たちと同じように、生徒たちもまたこの閉塞した状況のなかから、

 必ず、彼らなりの新しい何かを見出(みいだ)して来るに違いない。

 新型ウイルスの拡大がある程度収まり、学校が再開されたとき、

 私たちはその何かにはっきりと気づくはずだ。』


う~む、なるほど‥‥。なんだか明るい未来が見えてきそうな、とても心強いお言葉だと思います。

そういえば、一昨日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、

米国の社会学者、エリーズ・ボールディングの

「わたしたちがすることは、それがどんなにささいなことであっても、

 すべてがある意味では発明なのです。」という言葉で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


アインシュタイン相対性理論を着想したのも、少年期に登校拒否したのも、

 塞いだ状況を切り抜ける工夫という意味ではいずれも「発明」だったと、米国の社会学者は言う。

 そのためには、状況を違う視角で観察できる場所、じっと「身を寄せていられるくぼみ」、

 つまりは「孤独」が必要だったと。「子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)」(松岡享子訳)から。』


はぃ‥「何かを生み出すには、物事を客観的に観察するための孤独(ひとり)の時間が必要であり、

かつ、人生を真摯に生きる者にとって、それは決して無意味な空き時間ではない。」

という理解でよろしいでしょうか‥‥?