しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

考えるための最良の方法とは

今日の日経新聞文化欄に、作家の高橋源一郎さんが、アルベール・カミユの長編小説「ペスト」を題材に、

「踏み止まる」というタイトルのエッセイを寄稿されていました。

そのエッセイには、次のような印象深い記述がありました。


・主人公である医師のリウーは、物語の最後に、起こった出来事を書き残そうと決意する。

 同じように、謎めいたよそ者タルーは、危機の最初から精密な記録を残す。

 小役人のグラン、記者のランベール、登場人物たちは、社会の危機に個人として誠実に振る舞うが、

 実は、彼らはみな、なにかしら「書く人」なのだ。

 未曾有(みぞう)の事態に誰もが思考放棄に陥る中、彼らは「考えろ」と自分に言い聞かせる。

 そして、考えるための最良の方法は「書く」ことなのである。


・「ペスト」の襲来は、わたしたちの内側にひそんでいた、もう一つの「ペスト」をあぶり出す。

 口から出る「息」に含まれ、他人に感染して傷つけるもの、

 いうまでもなく、それは「ことば」に他ならない。

 「ことば」にどれほど人を害する力があるのかを、

 いままさに、わたしたちは、イヤというほど気づかされているではないか。

 「ことば」は、「ペスト」のように(あらゆる感染症のように)、人を殺しもするが、

 それに対抗するものも、実は「ことば」しかないのである。

 だから、『ペスト』の登場人物たちは、「ことば」を武器にして、迫り来る危機に立ち向かう。

 もちろん、それが、どれほど危険なものであるかを知りながら。


・危機に際して、作家は、内なる本能に目覚める。

 それは、世界を記録し、人びとの記憶のうちに留めたいという本能だ。

 だから、作家は、逃げずに止まる。部屋の中に止まることも、戦場に止まることもある。

 それがどんな場所であろうと、最後のひとりになっても、彼(彼女)は、踏み止まる。

 そして「意志と緊張をもって、気をゆるめず」、なにが起こったのかを書き残す。目の前の読者を力づけ、

 未来の読者には、同じ苦しみを味わわせないために。

 この「コロナ」の危機にあって、踏み止まった作家が、どんな記録を、どんな物語として残すのだろう。

 もちろん、わたしも、そのひとりでありたいと願っているのだが。


う~む、なるほど‥‥。考えるための最良の方法は「書く」ことなのですね‥‥。

小説の読み方の深さが、私のような凡人とは全く違います。恐れ入りました。

今回の「コロナ危機」に際して、高橋先生をはじめとして

作家の諸先生方は、「踏み止まって」、「物語の記録」という執筆活動に励まれているのでしょうか?

そうであるならば、「読者を力づける」作品の登場を、今から心待ちにしたいと思います。