今日の日経新聞文化欄に、作家の高橋源一郎さんが、アルベール・カミユの長編小説「ペスト」を題材に、
「踏み止まる」というタイトルのエッセイを寄稿されていました。
そのエッセイには、次のような印象深い記述がありました。
・主人公である医師のリウーは、物語の最後に、起こった出来事を書き残そうと決意する。
同じように、謎めいたよそ者タルーは、危機の最初から精密な記録を残す。
小役人のグラン、記者のランベール、登場人物たちは、社会の危機に個人として誠実に振る舞うが、
実は、彼らはみな、なにかしら「書く人」なのだ。
未曾有(みぞう)の事態に誰もが思考放棄に陥る中、彼らは「考えろ」と自分に言い聞かせる。
そして、考えるための最良の方法は「書く」ことなのである。
・「ペスト」の襲来は、わたしたちの内側にひそんでいた、もう一つの「ペスト」をあぶり出す。
口から出る「息」に含まれ、他人に感染して傷つけるもの、
いうまでもなく、それは「ことば」に他ならない。
「ことば」にどれほど人を害する力があるのかを、
いままさに、わたしたちは、イヤというほど気づかされているではないか。
「ことば」は、「ペスト」のように(あらゆる感染症のように)、人を殺しもするが、
それに対抗するものも、実は「ことば」しかないのである。
だから、『ペスト』の登場人物たちは、「ことば」を武器にして、迫り来る危機に立ち向かう。
もちろん、それが、どれほど危険なものであるかを知りながら。
・危機に際して、作家は、内なる本能に目覚める。
それは、世界を記録し、人びとの記憶のうちに留めたいという本能だ。
だから、作家は、逃げずに止まる。部屋の中に止まることも、戦場に止まることもある。
それがどんな場所であろうと、最後のひとりになっても、彼(彼女)は、踏み止まる。
そして「意志と緊張をもって、気をゆるめず」、なにが起こったのかを書き残す。目の前の読者を力づけ、
未来の読者には、同じ苦しみを味わわせないために。
この「コロナ」の危機にあって、踏み止まった作家が、どんな記録を、どんな物語として残すのだろう。
もちろん、わたしも、そのひとりでありたいと願っているのだが。
う~む、なるほど‥‥。考えるための最良の方法は「書く」ことなのですね‥‥。
小説の読み方の深さが、私のような凡人とは全く違います。恐れ入りました。
今回の「コロナ危機」に際して、高橋先生をはじめとして
作家の諸先生方は、「踏み止まって」、「物語の記録」という執筆活動に励まれているのでしょうか?
そうであるならば、「読者を力づける」作品の登場を、今から心待ちにしたいと思います。