「言葉(ことば)」と「書くこと」についての日記が続いています。
今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、ノンフィクション作家・柳田邦男さんの
「文章を書くということは文脈を作ることになるのです」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『大切な人を失ったり、致死の病に罹(かか)ったりすると、人は衝撃を受けてひどい混乱状態に陥る。
が、その体験について語り、書くことで、散らかった思いを僅(わず)かなりとも整理できる。
それは自分がかくあることを納得したいということ、
そういう形で「生きなおす力」を得ることであると、ノンフィクション作家は言う。
講演「物語としての人生」(「Living Will 第177号)から。』
う~む、なるほど‥‥。
「書くこと」は「生きなおす力を得る」ことにつながるのですね‥‥。
確かに、私も気持ちが落ち込んだ日や、嫌な出来事があった日に、
パソコンに向き合って日記を書き始めると、
少しずつ精神状態が落ち着いてくるように感じることがあります。
ですから、「書くこと」は、客観的に自己を見つめなおす行為なのかもしれません。
そして、今回の「コロナ危機」で私は、
プロ野球や高校野球、ラグビーなどスポースを観ること、スクリーンで映画を観ること、
旅に出て異郷の風景を観ることなど、「観る」という行為を伴わない人生が、
いかに空疎で味気ないものであるかを、「骨身に染みて」(?)思い知ったように思います。