久しぶりに、雪斎先生こと、櫻田淳・東洋学園大学教授の、切れ味鋭い論評を拝読しました。
一昨日、産経新聞「正論」に掲載された
『コロナ‥知識と経験を人類蓄積に』というタイトルの論評のことです。
『‥‥いわゆる、「日本モデル」によるウイルス禍対応への評価について、
「アジア・タイムズ」(4月20日配信)は、次のような興味深い記述を紹介している。
「日本は、ジャンク・フードを食べ運動もしていないのに痩せている
少女(スキニー・ガール)のようなものである。
半分の人々は、それを無視し、他の半分の人々は、それを憎もうとするのである」
確かに、緊急事態宣言の下で実際に打ち出されていたのが
「要請」の域に終始してきた日本政府のウイルス禍対応は、
都市封鎖や罰則付きの外出禁止令の発動を余儀なくされた諸外国の事情に重ね合わせれば、
明らかに緩く甘々な印象を与えるものでしかないのであろう。
その一方で、ウイルス禍の感染者数や死者数が低く抑えられている事情は、
諸外国には奇異にして不可思議なものとして受け止められるであろう。
しかしながら、この「日本=スキニー・ガール(痩せた少女)」説に関して指摘されるべきは、
ジョン・メイナード・ケインズ(経済学者)からの引用として紹介した暗喩に従えば、
ウイルス禍対応を含めて全ての政策対応は、
「それぞれの土壌の上に花を咲かせた植物」であるということである。
それは、件(くだん)の「植物」が他の土壌に移し替えても花を咲かせることはないどころか、
かえってその土壌を壊してしまうということを意味している。
故に、ウイルス禍対応の「日本モデル」がうまくいったところで、
それは、他国が単純に模倣や援用の対象にできるような代物ではなく、
「日本としては、こうするより他はなかった」代物にすぎない。
「日本モデル」は、うまくいっても、「日本はすごいぞ」と自ら悦に入り、
その成果を他国に誇示する材料にもならない。』
『それぞれの国々は、それぞれの国情を踏まえて、それぞれの努力を続けるしかない。
ただし、留意されるべきは、そうした諸国のさまざまな「努力」が
人類全体の「知識と経験の蓄積」に寄与するものでなければならないということである。
全ての国々は互いの政策対応に関して「模倣はしないけれども適宜、
参考と検証の材料とする」合意が大事である。』
『自由民主主義世界での成功事例を残した台湾を排除し続ける
WHO(世界保健機関)の姿勢が批判されるべきゆえんは、
何よりも台湾排除を通じて、「知識や経験の蓄積」の機会を自ら捨てていることにある。
また、折々に語られるWHOの過剰な対中忖度(そんたく)は、
中国に絡む「知識と経験の蓄積」における信頼性を疑わせる。
こうした「知識と経験の蓄積」の場としての役割を果たしているかが怪しくなっているのが、
WHOに対する批判の本質なのである。
ウイルス禍収束後、世の人々は、それ以前よりもどこまで賢明になれるのか。
それは、自分のことを知る一方で、「知識と経験の蓄積」を尊重できるか次第なのであろう。』
う~む、なるほど‥‥。
「スキニー・ガール(痩せた少女)」と「それぞれの土壌の上に花を咲かせた植物」
という言葉を初めて知って、とても勉強になりました。
そして、WHOに対する批判の本質も、私なりに理解することができました。
ウイルス禍対応の「日本モデル」が、後世のためにいずれ検証されることも期待したいと思います。