長く積読状態だった「渋沢栄一~社会起業家の先駆者」(島田昌和著:岩波新書)を読了しました。
渋沢栄一とはどんな人だったかを端的に述べているのが、
本書「おわりにかえて」にある、次の記述だと思います。
『渋沢の長い生涯をかけて追い求めた社会が100%実現したわけではなかった。
挫折を繰り返しつつ、反対にあいながらも新たな地平を求めて思考し、
行動し続けた点が渋沢の真骨頂であった。
非財閥系の会社モデルを構築し、社会全体を構想し、行動した人であったが、
「官尊民卑の打破」のスローガンのもと、
民間にエネルギーがたまる仕組みを構築しないことには社会は育たないことへの思いは
ぶれない人であった。』
そして、渋沢の「思想」については、本人の発言を引用しながら、次のように書かれています。
『「我々実業家は主客いずれに在るかといえば、むしろ主に在ると思う、実業が主で、
政治なり軍事がこれを援けてこの日本国家を盛んにしたいと思うのでございます」と
民間主導の国家観を語り、それにふさわしい人材を以下のように説いている。
すなわち、「日本の商人は世界的でなく、公衆的でなく、
自分の商業にのみ満足して居るからだめである、
亜米利加等に向かってもどんどんはじめねばならぬ」と国際感覚が必要なことを強調し、
さらに「近頃でも甚だ嫌うべきことは、多数一致の心の欠けて居ることである、‥‥
日本人は一人では智恵があって、三人とか五人とか沢山で議論すると、もう纏まらない」
「努めて共同の力を養って戴きたい」と協調精神を提唱した。
最後に「今一つは志操を堅実にするという事であります」「強い考えを養わないと、
社会に立つる後には堅実なる仕事を成し得られぬと私は思う」と、
後に道徳心や倫理観を強調する萌芽が見て取れる(「伝記資料」第二七巻)』
なお、このような思想に至るまでの、渋沢の人生の原点ともいえる発言は、次のようなものでした。
『自分は知恵もなければ学問も無い。色々の変化に遭遇して最早政治界に立つべき念慮も無い、
さればと云うて家に帰って百姓をするのも残念である、
それ以外に何か国の為に尽くすことが出来そうなものはないかという所から‥‥
各人その能力知識に依ってその職分を尽くす、
この風習を日本に移すことに努力してみたいと私はその時(欧州滞在時)に深く覚悟したのです。』
う~む‥‥。(感嘆)
知恵も能力もない自分を自覚しつつ、それでも国家のために尽くすにはどうすればよいのか‥?
その答えは、「各人その能力知識に依ってその職分を尽くす」‥‥。
これってまるで、昨日の日記に書いた、
コロナウイルス感染の危険にさらされながら働く人びとを助けようと、
3Dプリンターでフェイスシールドを作り始めた、現代アート作家・リューバさんのようです。
福沢諭吉の「国を支えて国を頼らず」の思想に繫がるものがあるような気がしました。
- 作者:島田 昌和
- 発売日: 2011/07/21
- メディア: 新書