しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

知の自立の必要性

PHP総合研究所のHPに、中西寛京都大学法学研究科教授の執筆による

「世界が迎える大転換と日本の課題」というタイトルの論評が掲載されていました。

自分で大切だと思う箇所を、次のとおり抜き出してみました。


・日本はグローバリゼーションに一定範囲で適応しつつも、

 戦後昭和の工業文明時代の枠組みもできるだけ維持しようとしたのである。

 しかしこの「良いところどり」の日本型モデルの前提は崩れはじめていた。

 そのことはじつにさまざまな局面で表れていたが、

 多くの問題に共通していたのは、少子化に伴う人手不足によって、

 グローバリゼーションのなかでも国内においては

 昭和時代のアナログ的な仕組み・文化を維持することがほぼ不可能になりつつあったことであろう。


・こうした仕組みの問題は、今回のパンデミックにより、日本国内でのみ用いられるハンコ文化や、

 保健所からの電話による接触者追跡、FAXによる情報管理から郵送での給付金手続きに至るまで、

 さらに明らかにされたのである。


・しかし同時に、日本企業の大きな内部留保や、

 長年にわたり感染症に苦しんできたことからくる衛生習慣

 (マスクの普及は100年前のパンデミック以来だし、

 新型コロナへの効果が語られるBCGが日本で普及しているのは結核の中蔓延国だからである)は

 パンデミックにおいても有利に作用しているのかもしれない。


・総じて、人間社会のすべてをデジタル化していくことはできないし、

 アナログ的な要素は人間の強みである。

 情報テクノロジーの発達という必然的な環境のなかで、

 デジタル化、ヴァーチュアル化すべきものと、

 できないもの、すべきでないものの切り分けと組み合せが今後の世界的課題となるであろうし、

 日本が自らの実践を鋭ぎすますことによって世界に貢献できるあり方ではないだろうか。


・世界に貢献するのは、客観的な分析を踏まえた教訓であり、

 情緒的な成功失敗の評価では世界にとって役に立たず、特異例と扱われるだけに終わってしまう。

 それでは、国際的な力にはならない。


・同様に、日本は自らの利点と弱点を普遍的な価値基準で分析し、ビジョンをつくっていく必要がある。

 必要なのは「舶来輸入」の拝外主義でもなければ「日本礼賛」の排外主義でもなく、

 客観的、包括的視点からの自己評価であり、ビジョンの構築であり、課題の設定である。


パンデミック下の世界にあってあらためて感じるのは、

 自らを徹底的に客観化するという意味での知の自立の必要性である。


う~む、なるほど‥‥。

このなかでも、「情報テクノロジーの発達という必然的な環境のなかで、

デジタル化、ヴァーチュアル化すべきものと、

できないもの、すべきでないものの切り分けと組み合せが今後の世界的課題となるであろう」

という記述が、とりわけ印象に残りました。


ところで、今回のコノナ禍に関して、

様々な有識者の論考・論評・エッセイなどを拝読して思ったのは、

日本の感染者数と死亡者数が他国と比べて少ないのは、

「為政者の力」ではなく「現場の力」であること、

また、「客観的な自己分析と事後検証が必要であること」については、

ほとんど認識・見解の差異がないことです。

中西先生は、そのことを「知の自立の必要性」と的確に表現されたのだと、自分なりに解釈しました。