しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「危機の本質」はそこに

心の準備も身体の準備もできていない状態で、いきなり猛暑がやってきました。

今日はマジ暑かったです‥‥。


さて、昨日の愛媛新聞「新著の余禄」で、

井手英策・慶大教授の新著「欲望の経済を終わらせる」が、次のような内容で紹介されていました。


『気鋭の財政学者、井手英策さんは新著で「本当の経済とは何か」を問うた。

 収益や経済成長の追及に偏り、他者を顧みる余裕さえ失った日本社会。

 「金もうけという欲望の領域だけで経済を語る時代は終わらせないといけない」。そう訴える。

 論考の出発点は新自由主義を巡る疑問。

 自由の必要性を語りながら、格差を広げ、人々に自己責任の呪縛をかけるような主義主張が、

 なぜ日本で受け入れられたのか。

 「自由の誤った用法で、人を不自由な状況に追い込むものに、どうあらがえるかを考えた」

 国民の支持を得つつも、暮らしを疲弊させたのは新自由主義だけでない。

 小泉政権にも安倍政権にも一貫していたのは「経済至上主義」だった。

 「日本企業が国際競争に負ければ、あなたも生きていけませんよ」と脅され、

 国民は民営化も規制緩和も法人減税も受け入れてきた」

 逆らえない背景は何か。

 「日本が“勤労国家”だから。国民は勤労して倹約して貯蓄して、自己責任で将来不安に応じてきた」。

 しかも、運悪く失業した人までもが、勤労意識の低い失格者の烙印を押されてしまうのが

 日本の怖さだという。

 セーフテイーネットも生活保障も極めて脆弱な中、全世帯の約半数は年収400万円未満。

 多くの人が生活防衛に必死で、困窮者に思いをはせる余裕もない。

 そこに「危機の本質がある」と説く。‥‥』


う~む‥‥。(沈黙)

どちらかというと、「成長至上主義者」であることを自覚する私も、

上述のような論調はよく理解できるし、反論する余地もほとんどありません。

経済成長は必要だと思うけれど、

かといって、他者を顧みる余裕さえ失った社会はとても危険だと思うし‥‥。

いったいどうすれば、より良い社会は実現するのかしら‥‥?

経済成長を実現することで富を創造し、

その富を適切に分配すると同時に、痛みを伴う経費は皆で負担し合う、

そんな理想的な社会は、我が国では実現できないものなのでしょうか‥‥?


これからも、自分なりの答えを見つけるために、この分野に関心を持ち続けたいと思います。