「web中公新書」で連載が続いている猪木武徳・大阪大学名誉教授執筆の「経済社会の学び方」、
その第13回目は、『歴史は重要だ(History Matters)ということ①~「日本的雇用慣行」を問い直す』
というタイトルで、次のようなことが書かれていました。
『事物や状況を理解するには、その経緯や歴史を知らねばならないとしばしば言われる。
何故か。ある事物が(個人、社会制度はもちろん、慣習も)現在そのような仕方で在ることは、
過去の無数の出来事や時間の経過が作用した結果と考えられるからだ。
したがって現在の在り方を理解し変えようとする場合、その変革が真の「改善」をもたらすためには、
過去に影響を与えてきた無数のファクターを十分に知る必要がある。
モンテーニュが『エセー』の
「習慣のこと及びみだりに現行の法規を変えてはならないこと」(第1巻第23章)で
次のように述べているのもこの点に関係する。
「習慣は長いあいだの中絶があっても、それが一たび我々の感覚の上に与えた印象の結果は、
何時までも残しとどめるということである」、
「一つの政体はいわばいろいろな部分が緊密に結合してでき上がった建物のようなもので、
全体がその影響を感じないようにその一部分を動かすことはとうていできないからである」と言い、
「人間の知恵はどんなに深くても、それは現行の習慣を説明し応用するのに役立つだけで、
決してこれを改革するのに役立ちはしないのだ」と言う。
これは進歩の可能性を否定する、ひどい保守主義だと読み違えてはならない。
モンテーニュは改革を全否定しているのではなく、
よくその経緯を知らずに「みだりに現行の法規を変えてはならない」と言っているのだ。
この主張は日常の経験ともかなり合う。
異動してきた部局の新しい長が、これまでの経緯をよく調べずに、
その職場の仕事の進め方は「無駄が多い」、「合理的でない」と指摘し、
「改革だ、改革だ」と力むことがあるのはその例だ。こういうタイプの長は、概して無能な人が多い。』
はぃ‥、特に、後半部分のご指摘は、長く宮仕えした私には、とてもよく分かります。
職場の改革を急ぐ上司の、どう考えても理不尽な指示に反発したところ、
「抵抗勢力」と言われたこともあります。
それらの上司は、決して「無能の人」ばかりではなかったけれど、
人物が尊敬できるかどうかは疑問符が付いていたと、今でもそう思っています。
「歴史をよく知る」ということは、「日常の経験とも重なり合う」ことがよく分かりました。