昨日は、職場の懇親会があったので、この日記はお休みしました。
本来ならば、年度初めの4月早々に開催されるべき「歓迎会」が、
ようやくこの時期になって、開催の運びとなった次第です。
懇親会場の飲食店に行って驚いたのは、「店舗内の広い部屋に半数の人数しか予約を入れない」、
「隣の人との座席は十分な距離を保つ」など、コロナウイルスの感染防止対策が徹底されていることでした。
そうした飲食店の懸命の取組を、この目で直に確認できたことは、得難い体験になったと感じています。
さて、昨日9日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、石橋湛山の
「柔らかに、親切に解釈し得べき法律を、強いて厳酷に、三百代言的に適用するという、
今回の遣(や)り方は、何と見ても間違っておる。」という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『大正10(1921)年、官憲の大本教弾圧に際し、言論人で後に首相も務めた石橋は、
法の恣意(しい)的運用を強く批判した。
最たる理由は、「法律なんていうものは、権力者の都合で、勝手に解釈が出来るものであるという感を
国民の脳裏にいよいよ深く浸(し)み込ませる」点にあった。
「三百代言」とは詭弁(きべん)を弄(もてあそ)ぶ人のこと。「石橋湛山評論集」から。』
恥ずかしながら、「三百代言」という四字熟語を初めて知りました。
「新明解国語辞典」で調べてみると、
「三百代言」とは、報酬が三百文の、もぐり代言の意
①いいかげんな弁護士
②〔弁舌さわやかに〕詭弁をもてあそぶ人 という解説がありました。
このコラムを読んで、まだ読み終えていない「石橋湛山評論集」(岩波文庫)が
書棚に眠っていることを思い出しました。もったいないことです‥‥。(反省)