『ノルウェイの森㊤㊦』(村上春樹著:講談社文庫)を何十年かぶりに再読しました。
先月18日の日経新聞一面コラム「春秋」に、村上春樹さんのことが書かれていたのが、その動機です。
再読して再認識したことがいくつかありました。
その一つは、1960代後半から70年代初頭の「学生運動」について、その本質を突く記述があったこと。
・ストが解除され機動隊の占領下で講義が始まると、
いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。
彼らは何事かもなかつたように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。
・背の高い学生がビラを配っているあいだ、丸顔の学生が壇上に立って演説をした。
ビラにはあのあらゆる事象を単純化する独特の簡潔な書体で「欺瞞的総長選挙を紛糾し」
「あらたなる全学ストへと全力を結集し」「日帝=産学協同路線に鉄槌を加える」と書いてあった。
信頼性もなければ、人の心を駆りたてる力もなかった。丸顔の演説も似たりよったりだった。
いつもの古い唄だった。メロディーが同じで、歌詞のてにをはが違うだけだった。
この連中の真の敵は国家権力ではなく想像力の欠如だろうと僕は思った。
二つめは、私が知っている音楽、映画、そして文学に関する人物、その名曲や名作品が登場していたこと。
・ディケンズ、トーマス・マン、マーラー、ビートルズ、バッハ、サイモン・ガーファンクル
ダスティン・ホフマン、モーツァルト、ヘルマン・ヘッセ、高橋和巳、大江健三郎、三島由紀夫‥‥。
・戦争と平和、ライ麦畑、卒業、魔の山、カサブランカ、スカボロ・フェア、
・500マイル、花はどこに行った、ミシェル、ノルウェイの森、ヒア・カムズ・ザ・サン、
カインド・オブ・ブルー‥‥。
三つめは、数多くの印象に残る名言があったこと。
・文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な思いでしかないのだ。(僕)
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。(僕)
・自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ。(永沢)
・いちばん大事なことはね、焦らないことよ。(レイコ)
・人の死というのは小さな奇妙な思い出をあとに残していくものだ。(僕)
・ある種の人々にとって愛いうのはすごくささやかな、あるいは下らないところから始まるのよ。(緑)
・自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。(永沢)
う~む‥‥。私にとって、この作品の魅力は再読後も、決っして色褪せていないことが分かります。
今宵は久しぶりに、マイルス・デイヴィスのジャズを聴きながら、眠りに就こうと思います‥‥。
特に、「So What」とか‥‥。