今日の日経新聞文化欄「うたこごろは科学する」に掲載された、
「カミュから遠く離れて」というタイトルの記事に目が留まりました。
『コロナ禍の中、カミュの「ペスト」が読まれているという。
トランプが大統領になったときは、オーウェルの「一九八四年」だった。
ディストピアを襲う感染症。今の世界を象徴する2冊とも見える。
もっとも、21世紀の現実は、小説よりもさらに苛酷(かこく)かもしれない。
誰かを監視するといっても、隠しカメラや盗聴器を使う。
1960年代のスパイ映画と大差ない、なんとも原始的な世界なのだ。
いっぽう、グローバリゼーションが進んだ今は、一地方の風土病が全世界のパンデミックを呼ぶ。
コロナはペストほどの致死率はないが、人類全体に与えるダメージは小説よりずっと大きい。
~ (中略) ~
カミュの「ペスト」はたしかに傑作だし、人間世界の不条理を見事に描き出している。
いっぽうで、この見事さは、今やどこか立派すぎるとも感じる。
21世紀の私たちは、カミュの描いたアルジェリアの住人たちより、
ずっと大きな混乱の中で、おたおたと戸惑いながら暮らしているのだ。
衣食住に加えて、医療・交通・情報網など、カミュの時代とは比較にならない世界を私たちは作った。
なのに、「ペスト」の主人公のもつ威厳や脇役たちの人間臭い面白さから、
私たちは遠ざかってゆくばかりだ。いったい、なぜなのだろう。』
はぃ‥、いったい、なぜなのでしょう‥‥? 当然のごとく、私にも分かりません。
でも、それはたぶん、「ペスト」の主人公たちと比べて、
今を生きる私たちに「誠実さ」が欠けていることが、小説から導かれる一つの答えなのかもしれません‥。