日経新聞の文化欄で連載が続いていた
小宮山宏・三菱総合研究所理事長(元東大総長)の「私の履歴書」は、今日がその最終回でした。
そのなかで、小宮山先生は「大学の役割」について、次のようなことを述べられていました。
『ここ数年、地方に足を運ぶ機会が増えた。
町を再生する気概にあふれ、経営力にたけた骨のある首長さんが全国にたくさんいることに驚く。
若いころ、工学者として取り組んだ化学工場の効率化などは一つモデルができれば、
それを横展開すればすむ。地域再生はそうはいかない。
その町に住む人と時を刻んできた歴史が絡み合うからだ。
人口減少と長寿化が続く日本社会が真の豊かさを取り戻すには、地方の力を生かすしかない。
幸福を作り出すのも、高度経済成長期と同じように、
動きながら、試行錯誤しながら、そして人を育てながら、やっていくしかない。
場を作り、そこに多様な人を集める。中心となるのが大学であり学生たちである。
課題を直接扱うのが一番よい。歴史を振り返ると大学は社会課題と対峙し続けてきた。
学問の発展とともに細分化し、いつの間にか社会と離れた。
もう一度、今の社会に向き合うという決意を学者、とくに学長はもつべきだと思う。』
う~む、なるほど‥‥。
「場を作り、そこに多様な人を集める。中心となるのが大学であり学生」なのですね‥‥。
ところで、「大学」といえば、私は人から、
「大学時代をどう過ごしたのか?」と尋ねられる時に、一番辛い思いをします。
というのも、勉学のみならず、サークル活動を通じた幅広い交友関係の構築など、
「この時代にしかできないこと」に、真剣に取り組むことをしなかったからです。
そして、歳を重ねれば重ねるほど、その「後悔の念」、「自責の念」が強くなっていきます。
それでも、三木清の
「後悔は我の立場においてなされるものであり、
後悔する者にはなお我の力に対する信頼がある。」という言葉に、救われたりもします。