昨日、そして今日と、一気に真冬のような天気となりました。
郷土の偉人・秋山真之ではありませんが、「あまりの寒さにチンコちぢまる」の心境です‥‥。
さて、朝日新聞デジタル版の有料会員(シンプルコース)になったことで、
これまで読むことができなかった有益な記事が、ほぼストレスなく閲覧できるようになりました。
たとえば、今月12日の「耕論」は、「読書離れと言うけれど」というテーマで、
いつものように、3人の有識者の論評が紹介されていましたが、
私はそのなかでも、書評家・永田希さんの、
「主体的「積読」、足場になる」という次のような論評に、
共感を覚えたというか、勇気づけられた次第です。
『‥‥キーワードは「積読」です。
買った本を読まずに積んである状況に、後ろめたさを感じる人は多い。
ただ書物は「読まれるために在る」と同時に「保存され保管される」特質もあり、
誰に読まれなくても中身が変わるわけではない。
私はむしろ積読を勧めていますが、ただし「自分で積む」ことが条件です。』
『‥‥まず「積読」するために本を買って並べる。
好きな作家をそろえたり、上限額を決めてとにかく買ったり、
興味のあるテーマを決めて集めたり、その方法は自分で決めます。
積読の蔵書が増えてくると、パラパラめくったり、背表紙を眺めたりしているうちに、
本と本の関係が見えてきたり、読んでみたいタイミングが自然に訪れたりします。』
はぃ‥、ご多分に漏れず、私の場合も、積読状態の本をたくさん抱えています。
そして、永田さんのご指摘のように、ときどきそれらの本のページをめくっているうちに、
無性に続きを読んでみたくなるような、そんな瞬間が時として訪れることがあります。
だから、積読状態も決して悪いことではないんですね‥‥、安心しました。
ただし、永田さんは、先ほどの論評の中で、
「自律的な読書環境」を「ビオトープ」(小さな生態系のある場所)に例えて、
『自分の興味と時間軸でつくった本棚を足場にすれば「自己」の輪郭が見えてくる。
時折点検し、興味を失った本は古書店に回すなど更新し、環境を持続させていくのです。』
とも述べられていました。
「自律的な読書環境」を保つため、「時折の点検」も怠らないようにしたいと思います。