作家・半藤一利さんのご逝去を受けて、
日経新聞一面コラム「春秋」と朝日新聞一面コラム「天声人語」には、
それぞれ次のような内容の「追悼のコラム」が掲載されていました。
『‥‥一枚の写真が対談集に載っている。
半藤さんが8歳の時、夏のラジオ体操の後、友人たちと肩を組む姿だ。
ランニングシャツに満面の笑みである。
この7年後、愛する故郷が大空襲の炎に包まれるとは思いもしなかったろう。
逃げ惑った末に川に落ちた半藤少年は、誰かに襟首をつかまれ、船に引き上げられたのだという。
ベストセラーとなった「昭和史1926-1945」は、
あちこちに当時の指導者らへの怒りがたぎっている。
「それにしても何とアホな戦争をしたものか」。一節が重い。
「根拠なき自己過信と、まずくいったときの底知れぬ無責任」。昭和史の結論だそうだ。
出口の見えないコロナ禍、改めて遺訓としてかみしめたい。』
『‥‥無計画。自己過信。優柔不断。それらは反省されることなく太平洋戦争に引き継がれた。
戦前戦中の歴史を徹底的に調べて、わかりやすく書く。半藤さんが90歳の生涯を閉じた。
文芸春秋の駆け出しの編集者だったとき、坂口安吾から「歴史書にはうそも書かれている」と言われた。
だから史料をつきあわせて推理し、合理性を探さねばならないのだと。
編集者から作家になり、「歴史探偵」を名乗った。
「日本のいちばん長い日」では玉音放送までの24時間を、
「B面昭和史」では重苦しいばかりでない庶民の日常を描いた。
半藤さんの仕事がなければ、私たちの歴史感覚はずっと鈍くなっていたかもしれない。
歴史を現代に常に結びつけて考える人でもあった。
日本で権力が一点に集中していくのを憂い、対談で語っていた。
「民主主義のすぐ隣にファシズムはある、そのことを国民はしっかり意識しなければならない」』
はぃ‥、どちらもコラムも、半藤さん個人の業績を称えるだけにとどまらず、
私たちが生きる、今の時代の問題点を鋭く指摘する、内容の濃いコラムだったと思います。
そして、どちらのコラムにも相通じる言葉は、「無計画」「自信過剰」「無責任」「優柔不断」‥‥。
これらは、私たち日本国民が、先祖からDNAとして受け継ぐ、決定的な「欠点」なのかもしれません。