パソコンの不調が続いています。
なにせ、電源を入れてから、インターネットが閲覧できる状態になるまで、
2時間近くを要するのですから、お話になりません。
かといって、自分の乏しい知識では修復ができないし‥‥。
そこで、思い切って、アウトレットのノートパソコンを購入することにしました。
明日がその納品の予定日です。
さて、今日の日経新聞一面コラム「春秋」を読んで、「母の弁当」を懐かしく思い出しました。
『先日、ある高校3年生のツイートに10万を超す「いいね」が寄せられ、ネット上で話題になった。
高校生活最後の弁当の包みを開けると母親の手書きのメッセージが‥‥。
「3年間お弁当を作らせていただきありがとうございました。冷食、玉子焼きばっかでごめんネ」
その日は、豪華ローストビーフ丼だった。最後は息子の好物を、とお母さん、奮発したようだ。
現役の生徒も、昔日の高校生も。毎朝早起きして弁当づくりにいそしむ親も、子育てが終わった熟年も。
世代を超えて共感が広がった。自分は感謝の気持ちを伝えただろうか。
弁当の作り手を亡くした方の涙腺は緩んだはずだ。
「おふくろがつめてくれた弁当は/ふたをあけただけですぐわかるんだ/
おかずのならべかた/小さい紅しょうがの置きかた/
その上を往復したおふくろの指/めしの上にそれがちらつくんだ」。
詩人サトウハチローは少年時代に非行を重ね一時、更生保護施設に。
後悔ゆえか。心配をかけた母を慕う作品を数多く残した。
共働き世帯が増え、弁当づくりは父母が交代で、という家庭もある。
コロナ禍の大学入試が終盤戦を迎えた。会場で手製の弁当を広げる受験生は恵まれている。
子を案じることも、振り返れば親の幸せだ。冒頭のお母さんはそのことをよく知っている。
門出の春が近い。親子が共に暮らす時間は、夢のように過ぎてしまう。』
私も、このコラムを読んで、涙腺が緩んだ人間の一人です‥‥。
中学二年生の秋に、滋賀県大津市から、愛媛の実家近くの中学校に転校し、高校を卒業するまで、
「母の弁当」の世話になりました。
母が作ってくれたおかずのなかで、私の大好物は、鶏肉のささみとピーマンを炒めたもの‥‥。
病気がちの身でありながら、毎日早起きをして作ってくれました。
そして、私は、定年退職をして再就職してからは、毎朝5時に起きて、自分で弁当を作るようになりました。
「弁当を作る」といっても、前日の夕食の残り物と冷凍食品をお弁当の中に入れるだけですが‥‥。
それでも、この毎日の作業の連続が大変だということが、ようやく分かるようになりました。
そうした日々の作業も、この3月末で、ようやく終わりを迎えようとしています。
このコラムの中で、「親子が共に暮らす時間は、夢のように過ぎてしまう」という記述がありました。
そう‥、今振り返れば、確かに母と暮らした時間は、
手作りのお弁当に代表されるように、「夢のような」幸せな体験と時間だったように思います。