今日の朝日新聞一面コラム「天声人語」(デジタル版)は、「卒業生に捧ぐ」というタイトルでした。
『鳴り物入りの入試改革のはずが政治の迷走で見送りに。
今年の大学受験生は大変な思いをした。おまけにコロナにたたられたまま卒業へ。
なぜ自分たちの学年だけこんな目に? 天を仰ぐ日もあっただろう。‥‥』という冒頭の文章に続いて、
千葉聡・横浜市立桜丘高校教諭(52歳)が詠んだ、全国の高校3年生に捧げた歌と、
その歌に込められた「背景」が書かれていました。
〈ロッカーと壁のすきまに捨てられた「記述問題対策ノート」〉。
生徒たちは新試験に導入される記述式問題の対策に追われたが、土壇場で立ち消えとなる。
翻弄(ほんろう)された生徒の無念がにじむ。
昨春はコロナでいきなり休校に。再開されたのは6月。
〈六人がけテーブルに二人ずつ座りカツ丼の日も学食静か〉。行事はどれも簡略化された。
〈声出しは×(ばつ)、拍手は○(まる) バレーボール大会決勝戦大拍手〉
生徒たちのために何ができるか、悩みは尽きなかったと話す。
〈白マスクの上の静かな目を見れば、なんとかしなきゃ、しなきゃ、と思う〉。
歌集に収められたこの1首が全国の先生方の思いを代弁していよう。
そして、コラムの最後は、次のような文章でした。
『この春、高校を卒業するのは100万人。勉強に部活、友情や恋愛でも思うにまかせなかった学年である。
忍耐の日々にふさわしい輝きの前途を。そう願わずにはいられない。』
このような文章を読むたびに、
私はいつも、「されどわれらが日々」(柴田翔著:文春文庫)の一節を思い起こします。
この日記にも幾度となく書いてきました。
『‥‥やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかもしれない。
あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。
私たちの頃にも同じように困難があった。
もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれど、困難があるという点では同じだった。
そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。
だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、
新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと。
そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、そういうことが昔もあった以上、
今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら、
そこまで老いて行った私たちの生にも、それなりの意味があったと言えるのかもしれない。‥‥』
全国の高校3年生の皆さんの「今の困難」を生きる姿は、
きっと、皆さんの次に続く世代への、力強い励ましのメッセージになるはずだと、私はそう思います。