お彼岸を前にして、今日は午前中に実家のお墓掃除に行ってきました。
私以外にも数組の人が来られていて、箒で枯葉を拾ったり、シキビを供えていました。
さて、NHKテキストの100分de名著『災害を考える』を読了しました。
若松さんが「災害を考える」ために選んだ名著は、寺田寅彦の「天災と日本人」、柳田国男の「先祖の話」、
セネカの「生の短さについて」、そして池田晶子の「14歳からの哲学」の四冊でした。
この四冊の中でも、特に、私の印象に残ったのは、「先祖の話」の次のような記述でした。
『‥‥仏教やキリスト教は、墓は「死者の眠る場所」としてとらえ、
亡くなった人はそこに「永眠する」という言い方をします。
しかし常民の常識は、大切な人を墓の下にひとり置き去りにしたりはしません。
そもそも「日本人の墓所というものは、元は埋葬の地とは異なるのが普通」であり、
墓は大切な人の「不在」を嘆き悲しむ場所ではなく、
死者と生者がともに「斎(いわ)う」場だと柳田はいいます。
~(中略)~
柳田は、墓とは何かを考えることは、私たちの意識だけでなく、無意識にも作用する、
むしろ、重大な問題だというのです。
人が死後に行く場所は、人影もまばらな墓所ではない、柳田はそう考えています。
柳田の考える墓地は、死者の居場所ではなく、いわば生者と死者の待ち合わせ場所なのです。
~(中略)~
では、死者の魂はどこに留まっているのか。
柳田は「静かで清らかで、この世の常のざわめきから遠ざかり、かつ具体的にあのあたりと、
大よそ望み見られるような場所でなければならぬ」と書いています。
それは「あのあたり」と言えるような場所、象徴性を帯びた「どこか」と言い換えてもよいと思います。
それは目に見える場所というよりも、不可視な、
しかし、確かに存在するような「場」のようなものではないでしょうか。
死者が、目に見えない姿で存在するように、その場もまた、目に見える必要はないのだと思います。』
う~む‥‥、これってまるで「千の風になって」の世界みたいです‥‥。
若松さんはまた、次のようにも述べられていました。
『当然のことですが、「死者と生者」という関係は、宗教が生まれる前から存在します。
常民の死者をめぐる感覚は、あらゆる宗教の教義を超えて私たちのなかに生きていると言えます。
その感覚を呼び覚ましていくことは、大切な亡き人を近くに感じ、
私たち遺された者が、死者を思って生きるというより、死者たちと共に生きるという道を、
静かに、しかし、はっきりと照らし出すのではないでしょうか。』
はぃ‥、「常民の死者をめぐる感覚は、あらゆる宗教の教義を超えて私たちのなかに生きている」というのは、
理屈というより、皮膚感覚で理解できるようで、とても説得力があります。
私たちは死者たちと共に、「今を」生きているのですね‥‥。
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