雲が低く垂れこめ、吹く風が強く冷たく、季節が逆戻りしたような、そんな肌寒い一日となりました。
今はゴールデンウィーク中ですが、仕事をリタイアしている私は、
毎日がゴールデンウィーク中のようなもので、あまりその実感がありません。
これは果たして、喜んでいいのか、悲しんでいいのか‥‥?(苦笑)
さて、今日の日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。
『沢村貞子は26年間にわたり「献立日記」をつけていた。名女優だけど暮らしは質素そのもの。
日々、食事をこしらえ、メニューを記録していたのだ。
1966年5月のある日は
「かつおの煮つけ、そら豆の白ソースあえ、ほうれん草のおひたし、豆腐の味噌汁」である。
晩年の著書「わたしの献立日記」に、こういう記述が多々あって食欲をそそられる。
贅沢(ぜいたく)ではないが、とても豊かな食卓だったろう。
そういえば詩人の茨木のり子も、こまめに台所に立って料理をつくり続けた。
没後に出た「茨木のり子の献立帖」にはレシピが満載である。
野菜たっぷりのカレー、パエリア、ゆで豚‥‥。
こんなふうに紹介すると、いまどきの「おうちごはん」も手を抜けぬ、
などと思われそうだが堅苦しく考えることはない。
夫の泰淳との食事は朝からハンバーグやおでん、夕食はおにぎりと塩ざけといった日がよく出てくる。
およそ虚飾のない営みのなかに、ほんとうの生活がある。
この大型連休は、先人のさまざまなスタイルを参考に手づくりの味をあれこれ試してみようか。
家でつくる食事は、じつに自由である。それにしても、こうして引用してみたらおやじたちの影が薄い。
家事をもっぱら女性が担った、昭和の風景でもあろう。
そんな時代は過ぎたから、男たちも台所へ。後片付けも忘れずに。』
はぃ‥、かくいう私も、「男たちも台所へ」を、後片付けを含めて実践中です‥‥。
今は料理のアプリが豊富なので、その助けも借りて、素人の私でもなんとか作ることができます。
ところで、今日のコラムを読んで、
詩人・茨木のり子さんが、料理に関する本を残されていることを始めて知りました。
でも、茨木のり子さんの詩に料理に関する詩がありましたっけ‥‥?
あらためて、「茨木のり子詩集~谷川俊太郎選」(岩波文庫)を紐解いてみると、
「箸」というタイトルの詩がありました。
『‥‥里芋ころころ 子供はあわてて箸つきたてる
軽わざのように至難のことを 毎日くりかえしているうちに
いつとはなしに修得する 二本の棒を操って すべてのもの食む術を
食膳の中身は変わり 盛るうつわ 木の葉から多彩に変わり
鍋かこむ人数変わり 燃やすもの あれよと変わり
よくもまあ箸だけは何千年も同じ姿で 二本まっすぐ続いてきたものと 驚くのだが
誰もべつに驚くふうもない しみじみと わが箸みれば はげちょろけ‥‥』
この詩を読むと、コラムにある「およそ虚飾のない営みのなかに、ほんとうの生活がある。」
という文章の重みが、しみじみと伝わってくるようです。